このブログでは宗教を「やめる」のではなく「卒業する」ということを推奨しています。どちらも宗教を離れるということに違いはありません。
大きな違いは、本人の立ち位置です。
「やめる」には、相手が悪いというニュアンスが色濃くあります。
逆に「卒業する」には、自立した意思や意味合いが込められています。
今回はこの2つの違いについて考えます。
相手を悪に仕立て上げて、自分を正当化することの精神的な負担
ほとんどの場合“宗教をやめる”と言うと「その宗教が間違っているから」というニュアンスが含まれています。
つまり、
「悪いのは『宗教側』であって、『わたし』ではない」
という意味合いが強くなります。
相手を否定して、
恨み、
告発して、
関係を断ち切ろうとするんです。
ネガティブな思考に支配されて生活する人生は幸福ですか?
脱会を啓発する人たちの多くも「その宗教を否定してやめろ!」と言います。相手を悪に仕立て上げることで、自分を正当化する方法です。
しかし、このやめ方には精神的なリスクが伴います。特に、長くその宗教で信仰を続けていれば続けているほど、負担は大きくなる可能性があります。
否定するとき、
「あの人が悪い」
「反社会的だ」
「人を惑わしている」
といった、ネガティブなエネルギーが思考を支配しています。つまり否定し続けることで、ネガティブなエネルギーと隣合わせで生活することになります。頭の中はいつでもネガティブです。
そのようなネガティブの思考にまみれながら生きていく人生、そんな人生を望んで宗教をやめるのでしょうか?
過去の自分まで否定することで傷つくことになる
自分が信仰していた宗教を否定することは、自分自身を傷つけることにもなります。その宗教を否定するということは、今まで信仰していた「過去の自分」まで否定することになるからです。
観念的な話のようにも思えますが、実はもっとリアルに人間の思考に悪影響を与えます。
なぜなら、人間の脳は過去と現在のイメージを区別できないからです。
宗教を否定することは、今までそれを信仰していた自分を否定することになります。
今までの自分を否定して新しい自分に生まれ変わろうとしても、過去を否定している限り、人間の思考は現在の自分を否定していると判断します。
脳は「過去に対する否定」も「今の自分への否定」と捉えるからです。
「いや、否定しているのは宗教であって、わたしではない」
「わたしは騙されていたんだ」
「わたしは悪くない」
と一生懸命に考えるかもしれませんが、人間の脳はそんな都合よく解釈してくれません。「行動の原因は常に自分自身」と認識するからです。
正直、わたしも心理学や脳科学の本を読みながら葛藤しました。
結論はシンプルで「わたしたちの人生は、人のせいにできない」ということになります。
「宗教を卒業」することで過去の自分を否定する必要がなくなる
宗教を 「否定してやめる」に対して「卒業する」は、過去の自分を否定することではないので、現在の自分を否定することにはなりません。
卒業するとは「その宗教が自分の人生に必要なくなったから手放す」ということです。率先して自分の人生を選択していることになります。
宗教はゴールではなくプロセス
ある意味では宗教が必要な人はいます。
- 鬱(うつ)
- 全身疾患
などが、宗教を信仰することで治ったという例は実際にあります。それはある段階ではその人に宗教が必要だったからです。
しかし、その段階が終われば、もう宗教は必要なくなります。
宗教は成長過程を補填する方法の一つ、またはプロセスであってゴールではありません。
宗教を卒業するとは、
一つのプロセスを終えて、
新しいプロセスに移行する
ということです。
小学校から中学校に上がるようなものです。中学生になってから足し算は勉強しませんよね?
実際に宗教を「卒業した人」が、宗教を続けている人を見ると、
「え?まだあの宗教やってるの?」
という反応をします。
「え?まだ足し算の勉強してるの?」
と、似た感覚です。見下しているのではなく、プロセスの違いに反応しているのです。
大切なことなのでもう一度言います。
宗教を卒業するとは、古いプロセスから新しいプロセスへの移行です。
まとめ
~「間違っているから」ではなく「必要なくなったから」という理由~
人間、行動するには理由が必要です。宗教をやめるという行動も例外ではありません。
宗教をやめるときにどのような理由を与えるかが、その後の
- 生き方
- 思考
- 行動
- 態度
などに影響を与えることになります。
「この宗教が間違っているから」というネガティブな理由を与えるなら、その後の人生もネガティブなものになりやすく、自暴自棄になることも考えられます。
そうではなく、
「新しいプロセスに移行するべきだと感じた」
「自分の人生に宗教が必要なくなった」
「自分の意志で人生を選ぶ大切さに気付いた」
といった、前向きな理由を与えるなら、自分自身を否定することなく次の人生に進むことができるでしょう。