自覚とは、自分自身を観察する能力のことです。そしてそれは、何が自分に必要なのか判断する上でとても重要な力でもあります。
しかし、カルトの中にいると、この自覚をできるだけ封印するように仕向られます。そうすることで、信者は自分で考えることをやめるからです。そのため、本当の意味で宗教をやめるには、自覚を取り戻し、精神的に自立し、宗教から影響を受けない自分になる必要があります。
今回は「正しい宗教のやめ方②」と題して、自覚について考えていきたいと思います。
カルトは信者が自覚を持つことを恐れている
カルトは信者に自覚を持たれることを警戒します。
自覚を持たれると「自立しよう」という気持ちが高まり、コントロールが難しくなるからです。そのためあらゆる手を使って自覚を封印しようとします。
ある程度自覚を持てなくすれば、あとは信者のほうから「わたしをコントロールしてくれ」という態度に変化します。
そうなったらあとは好きなようにコントロールするだけです。
カルトが自覚を奪う方法
自覚を奪うために、カルトは
「一般社会、他の宗教は間違っている!わたしたちが正しいのだ」
「自分の考えは悪だ!罪だ!教義こそが絶対だ!」
「自分の時間をもってはいけない。その時間を宗教活動に捧げてこそ天国に入れるんだ!病気が治るんだ」
「自己を否定しろ!」
というような思考を信者に叩き込みます。自分で考える隙間を与えないためです。
これが一度頭に入ると、自分自身を顧みることが難しくなり、自覚が奪われていきます。自覚のない人はカンタンにコントロールされやすくなります。
また、宗教活動に参加させることも、自覚を奪う方法の一つです。
- 集会・礼拝
- セミナー
- 伝道活動
- 全国規模の大会
信者がこういった活動に忙しくなれば「自分で自分を見つめ直す時間」が少なくなります。
これに関しては以下の記事に書いてあるので、ここで詳しくは触れません。
自覚を奪われた信者はどうなるか
自覚を奪われた信者は、教団の言うことを疑うことなく信仰を続けます。
たとえ途中で教団の方針が180度変わっても、
「昔からそうだった」
「教団の言うことだから間違いない」
「新しい時代がやってきた」
などと言い訳を並べて、疑問をもつことをしません。
最初はカルトから時間を奪われていますが、途中から自分の意思で考えないようになります。時間が経つにつれて、考えることに恐怖心を抱くようになるからです。
もしも自分の人生について考える時間を持って、「信仰していた宗教が間違っている」という結論に至ってしまったら、自分で自分を責めることになると思ってしまっています。
死よりも恐ろしい恐怖は責任を糾弾されることです。たとえそれが自分自身であろうと…。この気持ち、あなたが「どっぷり信者」なら理解いただけるのではないでしょうか?
自覚から精神的な自由が始まる
ところが、実際に自覚を取り戻してみると、それ以前とは違った世界が広がることに気づきます。
わたくしカチローが自覚の極みにいるとは言いませんが、それでも宗教の中にいた頃よりはフラットにものごとを見られるようになりました。
宗教の中にいた頃は、無理やりにでもポジティブでいようと努めていました。それが「良いことだ」と思っていたからです。
けど、今はポジティブでもネガティブでもどっちでも良い…というか、どっちでないといけないという考えは久しく持っていません。
自覚を持つことは、自分の人生のハンドルを自分で握っている状態です。
「経典にこう書いてあるから」
「偉い人がこう言っているから」
「神さまや仏さま望まれているから」
このように、自分以外の存在を理由に自分の行動が束縛されることがなくなるのです。
ある意味で精神的に自由な気がします。
自覚を取り戻すための提案
最初にも言いましたが、自覚は自分で自分を観察する能力です。
つまり、
- 生活の中で使っている言動
- 習慣
- 思考
- 姿勢や態度
を意識して見つめることです。
これだけでも何をしたら良いかは何となくわかるとは思いますが、思いつかない方のためにいくつか提案をしてみます。
- 自分のお葬式をイメージする
- 行動や感情を声に出してみる
- 自分の声を録音する
- 鏡で変顔をして一人で笑う
カンタンだと思うものからやってみて、いろいろと応用をきかせてみるのも良いでしょう。
1.自分のお葬式をイメージする
自覚を育てる一番効果的な方法は人生の最期から逆算して考えることです。よく聞く方法なので、知っているという方も多いと思います。
しかし、カルト宗教をやっていた信者からすると、この方法はちょっと複雑な事情がからみます。なぜなら宗教には死生観というものがあり、
- あの世
- 極楽浄土
- 天国・地獄
- 楽園
- 霊界
といった死後の世界があることを前提に信仰を持つように促しているからです。特にカルト宗教は「死後の世界を幸福に過ごすために、今を苦労しろ!」と言っていることが多く、人生の最期という概念があいまいなことがほとんどです。
「人生の最期っていつ?」と考えてしまうなら、シンプルにお葬式で考えるのが良いでしょう。
以下の文章を読んで、自分のお葬式をイメージするのに役立ててください。
あなたは神様から、自分のお葬式を見学することを許されました。しかし、周囲の人はあなただということには気づきません。
お葬式には多くの参列者が来てくれています。
- 家族(夫または妻、親、兄弟、あなたの子ども)
- 親戚
- 友だち
- 会社の上司・部下・同僚
- あなたが関わったコミュニティの人たち
この中から3人があなたの遺影に向かって、別れの言葉を読んでくれます。
誰がどのような言葉を投げかけてくれましたか?
2.行動や感情を声に出してみる
わたしたちは無意識に行動していることが多くあります。当たり前のように立ち上がったり、歩いたり、物を持ち上げたりしています。
その無意識にやっていることを意識すると、自覚する能力に磨きがかかります。
やりやすいのは行動を言葉で表現することです。
- 部屋の電気をつけるときは「電気をつける」
- ドアノブを握るときは「ドアノブを握ってドアを開ける」
- 音楽を聴くときは「〇〇の音楽を聴く」
声に出すと、自分の行動を客観的に見やすくなります。
同じように、感じたことを言葉にしてみるのも効果的です。
そのとき、言葉の最後に「と、わたしは思っている(感じている)」と付け加えると、より自分という人間を観察できます。
「『空がきれい』と、わたしは思っている」
「『今日は肌寒い』と、わたしは感じている」
これを続けることで、「今までは気づけなかったけど、実は自分にはこんな側面があった」という体験をすることができます。
3.自分の声を録音する
自分の声を、
- ICレコーダー
- スマホの録音機能
- パソコン
などで録音して聞いてみましょう。「え?わたしってこんな声だったの?」と驚くはずです。
普段自分で聞いていると思っている声は、そのほとんどが骨伝導によるもので、実際に空気の振動で聞こえる声とは違うものです。最初はちょっと気持ち悪いと感じるかもしれませんが、それは今まで自分を知らなかった証拠でもあります。
一人カラオケで自分の歌声を録音して聞いてみるのもおすすめです。自分の歌の下手さに撃沈する可能性もありますが、それを逆手にとって
「どうすればもっと良い声がでるだろう?」
「どこで息継ぎすればいいだろう?」
と、自分の声に関心をもつこともできます。自分を観察しながら改善することをくり返すことで、自覚する能力を育てることにつながります。
4.鏡で変顔をして一人で笑う
鏡に自分の顔を映して変顔をしてみましょう。1分くらい続けると何となく面白くなってきます。今まで知らなかった自分の表情を知ることができるかもしれません。
また、鏡がなくても自分を客観的にイメージする訓練にもなります。
ただし、なるべく人のいない場所でやりましょう。
さもなくば
「何?新しい宗教?」
と疑われかねません。
まとめ~カルトにとって不都合な「自覚」~
自覚はカルト宗教にとって都合の悪い能力です。自分たちの団体について冷静に判断されるようになるからです。
ほとんどの信者は感情で信仰を続けています。自分では理性的で、しっかり判断できると思っていますが、深く突き詰めていけば、
- 根深い欲求(地位、権力)
- 不安・恐怖(健康や死後の保険)
- 怠慢
- 優越感(自分は正しい、この世界は間違っている)
という感情が動機となって信仰しています。実はどれも自分以外の存在ばかりを見て、自分を見ることしていません。そこをカルトに利用されているんです。
自覚を回復することは誰からのコントロールを受け入れることなく、自分の意志で人生を歩くために必要なことです。
少しずつでも自覚を回復することで精神的な自立を目指し、宗教に頼らずとも生きていける自分を手に入れましょう。