僕が宗教をやめた理由

【実録】30年間信仰していた新興宗教をやめた男の体験記

【二世信者あるある】宗教の二世だからわかること・悩みまとめ

二世信者あるある。宗教の二世だからわかることまとめ

あの不思議ちゃん。もしかしたら二世信者かも…

Twitterを始めてから気づいたことがありました。

宗教が違っても、生まれたときからその宗教の中で育っている「二世信者(※)」という人種には多くの共通点があることです。

 

(※)二世信者とは:親がある宗教を信仰していて、その家庭の中で生まれ育った人のこと。カルト色の強い宗教・新興宗教になると、望まないのに信仰を強要されることがある。

 

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自分の宗教だけの話かと思ったら、想像以上に同じような境遇の二世信者がいることには、正直驚きました(良いことなのか悪いことなのか…苦笑)

 

そこで今回は「二世信者あるある」として、二世信者だからわかる事柄をまとめてみました。二世信者の皆さん!いくつ当てはまりますか?(笑)

 

あなたが二世信者なら

「そうそう!」
「ウチの宗教でいうところのあれだな!」

という見方ができるでしょう。

逆に宗教に関心がある方なら、意外な発見(?)があるかもしれませんね?

「へ~二世信者って大変だな~」って思ったらTwitterやFacebookとかでたくさんシェアしてほしいです!

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「え?なにその世界観??」とよく言われる

特にカルト色の強い宗教は、一般社会との交流を制限する傾向があります。

そのため、その中で育った二世信者たちは、一般常識からは少しずれた思考を持っている方が少なくありません。

 

すると、職場や学校では

「え?なにその世界観??」

「どういうこと??」

という風に周囲を混乱させることが多くなります。

察してください(笑)

 

友達に自分の宗教を隠す

ほとんどの二世信者が社会的に見て自分の宗教は怪しいと「認識」しています。

だから学校の友達には自分が宗教の二世だと知られたくありません。

 

二世信者の家には、その宗教ならではの

  • 祭壇
  • 置物

などが置かれていることがほとんど。

それを何も知らない学校の友達に見られることは恥ずかしいと考えている二世信者も多いです。

そのため、自分の家にも入れようとしません。

 

宗教活動を優先させられる

学校や会社などの集団生活になじめなかった二世信者も多いです。

宗教のルールを順守するように親から言われているため、それが禁止されている可能性もあります。

  • 食べるもの
  • 使うもの
  • 付き合う友達
  • 部活
  • 活動時間

宗教によって決められたルールは、社会のルールより優先させられることが多いです。

特に先述したように、自分の宗教がバレたくないという思いから、なぜ自分が人と違う行動をしているのか説明をためらう二世信者も少なくありません。

 

無理解の周囲からは怒りを買うこともしばしば。

 

遊びよりも宗教

 大好きな友達とたくさん遊びたい。けど、

  • 毎日決まった時間に儀式
  • 夏休みは子供向けセミナー
  • 土日は説法や礼拝

と宗教活動で時間がとられます。

全力で遊んだ記憶が少ない…。

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友達を「部外者」として扱われる

信者の中には宗教を信じている自分たちと、それに従わない一般の人たちを太い境界線で仕切っている人が少なくありません。

あからさまには差別しませんが、

「自分より下の人たち」

「自分たちの教義を理解できない可哀そうな人たち」

という考えが態度に現れることがあります。

 

二世信者の中には、そのある意味で差別に近い視点を自分の友達に向けられた経験がある人も多いです。

 

大好きな友達を差別されるような気持になります。

「あんまり“この世の子”と遊ぶんじゃない」

と悪びれる風もなく言ってきます。

 

当然です。

自分たちは「正しい側の人間」だと思っているので、差別すら肯定されるんです。

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授業参観に親はあまり来ない

熱心な信者は、

  • 運動会
  • 授業参観
  • 三者面談
  • 家庭訪問

といった親子参加型の学校行事にも顔を出しません。

それよりも宗教活動を優先させているためです。

後ろめたさはあるにはあるのですが、「信仰を優先するのが最善」と思い込んでいるので学校行事は二の次になりがち。

 

残された二世信者は周囲の友達が親子で楽しそうに行事に取り組んでいるのを指をくわえながら見ています。

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存在価値が宗教の中にあると教わる

これは少し説明が難しいのですが、かなりコアな問題です。

親が両方とも熱心な信者でその間に生まれた二世信者は、自分のアイデンティティ(存在価値)に宗教が深く関わってきます。

 

親と子という一対一の関係性ではなく、そこには宗教信者としての関係も存在しているのです。

二世信者が宗教をやめようとすると親としてではなく、裏切り者の信者として非難されます。

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社会に出たら実力の差に絶望する

宗教活動を優先した二世信者の中には、周囲の信者からもてはやされて有頂天になっている人が多くいます。

しかし、中学高校で部活もせずにずっと宗教活動ばかりしていた二世信者は、社会に出たときにとても痛い目に遭うことが少なくありません。

 

一般社会の人たちが一生懸命に勉強している中、その二世信者は口達者に信仰について語っているだけで、実際には何の実力も伴っていないからです。

 

中学高校のころは「すごいこと言ってるな!」と感心していた二世信者が、いざ社会にでると、全然仕事ができない、むしろ足を引っ張る存在になるのです。

本人もそうですが、そう仕向けた親や周囲の信者の責任もあるでしょう。

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「やめる」というと親にキレられる

熱心な信者を親に持った二世信者が宗教をやめる際には、それなりの覚悟が求められます。

親や家族がそれを止めようすることがあるからです。

やめると言って「裏切り者!」と罵られることもあります。

 

中には力づくで止めようとしてボコボコに殴られて入院したという二世信者、鼓膜が破れるほど殴られて耳が遠くなったという二世信者もいるほどです。

 

親は自分の宗教が絶対的に正しいと思っているのに、我が子がそれに対して異を唱えていることを受け入れられないのです。

 

まるで自分の人生を否定されているようで…。

 

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親から暴力や暴言、虐待を受けたことがある

やめる以外にも宗教の教義に 沿わない行動や言動をした場合には、何かしらの制裁を受けることがあります。

これらは二世信者の心に深く傷を残し、大人になってからも忘れられない記憶になりかねません。

 

想像してみてください。実の親が、実の子以上に宗教を優先するのです。

なかなかきついですよ?

親に暴言・暴力を受けるのだから、そうさせた宗教を嫌いになる二世信者も多いでしょう。

 

自分の宗教の悪口が書かれたサイトには興味を示す 

インターネットが普及したことにより、より多くの情報が手軽に入るようになりました。

しかし、カルト色の強い宗教にとってそれは都合の悪いことでもあります。

自分たちの裏の顔を知られるきっかけになるからです。

 

二世信者に対しては「信心に悪影響を及ぼすからネットを見るな」と言います。

けど、実際は二世信者としても自分の宗教のことが気になっているのです。

見ないわけにはいかないでしょう。

最初はいかがわしいサイトを見るかのようにそっと見ます(笑)

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匿名性のあるサイトやSNSで毒を吐く

今ではTwitterなんかに多くの心の悩みを抱える二世信者がいて、自分の宗教に対する毒を吐いています。

Twitterがまだ世に出ていないときは、2ちゃんねるが心のすさんだ二世信者の憩いの場でした(また「2」ってw)。

 

私のいた宗教になりますが、2ちゃんねるは見てはいけないと言われていました。

 

バリバリ毒を吐く二世信者もいれば、少し冷静なツイートに徹する二世信者もいます。

ある程度毒を吐ききったら、その後は何か違う道を模索しだすことも多いので、まずは愚痴目的でもいいので、二世信者はTwitterを始めたら良いと私は思っています。

 

体育館や運動場でスポーツに励むことがある

宗教はイベントが大好きです。

その中で二世信者がよく集まるのがスポーツ系のイベントです。

信仰心はないけど、スポーツをする機会としてイベントに参加する二世信者は多くいます。

 

場所はどこかの体育館や運動場を借りることが多く、

  • バスケット
  • バレー
  • サッカー

といった集団でやるようなスポーツを中心にやります。

そうすることで仲間意識を高めて、普段宗教活動に参加してこない二世信者にアプローチしやすくするのが狙いです。

 

「どうやったらそう読む?」みたいな名前の二世信者がいる

具体的な例は控えますが、その宗教の中で生まれたがゆえにちょっと普通とは違う名前を命名されることがあります。

キラキラネームの流行にむしろ救われた二世信者もいるはず。

 

「この名前には〇〇様(教祖)への信仰という意味がある」とか、本人からしたら「いや、知らん知らん!」といったところでしょうか。

教祖や幹部が直接名前を付けることも多いです。

 

「あなたの名前は◯◯様(幹部)がつけてくださったのよ!」と誇らしげに親は言うけど、その幹部がなんかやらかして捕まる。

名前を付けられたほうは複雑。親は話題に触れなくなる、なんてこともあります。

 

年齢の近い一世信者との間に微妙な空気がある

自分の意志で入信した信者、つまり一世信者の中には、二世信者と年齢がそれほど離れていない人もいます。

ここでいくつかの問題が出てくるんです 。

 

宗教によっては「二世信者は清い存在」として扱われることがあるのですが、宗教活動に対して活発に取り組んでいるのはむしろ一世信者のほう。

二世信者は悲観的だったり非協力的だったりします。

 

一世信者は頑張っているのに二世信者よる劣るような変な評価のされ方をしていて、微妙な空気になることがしばしばあるんです。

 

自分の宗教の矛盾に葛藤する

宗教の教義を破っているのはほかならぬ教祖や幹部だったりします。

自分たちはお酒を飲むな、女と遊ぶなと言われて我慢しているのに、

  • 飲酒をしている幹部を目撃する
  • 幹部の女性スキャンダルが報道される

ということが起こるのでたまったもんじゃありません。

 

特に「家庭の平和が大切」みたいなことを言う割に、教祖や幹部、周辺の信者の家庭環境は崩壊しまくっているんです!

言っていることと実際の差が激しすぎて、その矛盾に葛藤している二世信者は相当数いるはずです。

 

「あれ?前と言ってること違くね?」ってなることがある

二世信者が葛藤するもう一つの要因が、宗教の言っていることがコロコロかわることです。

  • 時代が変わった
  • 新しい世界が開かれた

みたいなことを言っては内容が変化しまくるんです。そしてある日、ネットでいろんな情報を取得して気づきます。

 

「変わったのは時代じゃなくて、教団の都合だったんだ」と。

 

親が宗教勧誘する際に連れまわされる

親が宗教勧誘する際、我が子を一緒に連れていくことがあります。

子供が一緒にいると話しかけても気を遣ってくれるからです。

子供が見ている前で悪態をつく人は多くないでしょう。

 

暑くても寒くても、関係ありません。

子供を利用してでも宗教勧誘をして、信者を集めたいのです。

自分の親が周囲の人たちに蔑視されている姿を見ながら、子供が傷ついていることも知らずに…。

 

宗教をやめるといった時の親の反応は様々

二世信者が「宗教をやめる」と親に伝えると、そこにはいろんな反応があります。

ほとんどの場合は説得を試みます。

 

過激な親になれば暴言や暴力を行使することもあるので、どちらにしろ二世信者にとってはかなりの修羅場。

 

少ないですが「お前の人生なんだから、宗教もお前が決めなさい」と理解を示してくれる親もいます。

 

どうやって「宗教をやめる」と伝えるか迷う

親にやめると伝える際にはどんな方法で伝えるかに迷います。

直接または電話で伝えるのも良いですが、感情的になりやすいこともあり、まずは文字ベースの

  • メール
  • 手紙
  • LINE

で伝えるケースが多いでしょう。

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聖人気取りの親にうんざりしている

カルト色の強い宗教を信仰している信者は

  • 聖なる存在でありたい
  • 崇高な人物だと思われたい
  • 人に「教え」を与える聖人でありたい

という欲求が色濃く出ることがあります。

聞いてもいないのに人生の先輩風を吹かせようとする信者も少なくありません。

 

その子である二世信者は、そんな親の聖人気取りを間近で見ているものだから、「またかよ」ってウンザリしています。

「素晴らしいことを言った!」と自分に酔いしれている親の横で、二世信者は複雑な気持ちになっているんです。

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宗教をやめる前後は面白いほどに情緒が豊か

宗教をやめる前後の二世信者は様々な感情を抱きます。

今まで自分の存在価値だと教えられた宗教から離れるのですから無理もありません。

 

Twitterでつながっている二世信者が「宗教をやめるのに死ぬ覚悟は必要だ」とツイートしてるのを見かけたとき、ある意味で的を得ていると感じました。

 

今いる世界から違う世界に羽ばたくことを人はと呼びますからね。

今まで生きてきた「宗教」という世界から、「一般社会」という世界に飛び出すんです。

宗教をやめて「生まれ変わる瞬間」には感情の渦をトンネルにしながら突き進むのかもしれません。

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