Twitterを始めてから気づいたことがありました。
宗教が違っても、生まれたときからその宗教の中で育っている「二世信者(※)」という人種には多くの共通点があることです。
(※)二世信者とは:親がある宗教を信仰していて、その家庭の中で生まれ育った人のこと。カルト色の強い宗教・新興宗教になると、望まないのに信仰を強要されることがある。
自分の宗教だけの話かと思ったら、想像以上に同じような境遇の二世信者がいることには、正直驚きました(良いことなのか悪いことなのか…苦笑)
そこで今回は「二世信者あるある」として、二世信者だからわかる事柄をまとめてみました。二世信者の皆さん!いくつ当てはまりますか?(笑)
あなたが二世信者なら
「そうそう!」
「ウチの宗教でいうところのあれだな!」
という見方ができるでしょう。
逆に宗教に関心がある方なら、意外な発見(?)があるかもしれませんね?
「へ~二世信者って大変だな~」って思ったらTwitterやFacebookとかでたくさんシェアしてほしいです!
- 「え?なにその世界観??」とよく言われる
- 友達に自分の宗教を隠す
- 宗教活動を優先させられる
- 遊びよりも宗教
- 友達を「部外者」として扱われる
- 授業参観に親はあまり来ない
- 存在価値が宗教の中にあると教わる
- 社会に出たら実力の差に絶望する
- 「やめる」というと親にキレられる
- 親から暴力や暴言、虐待を受けたことがある
- 自分の宗教の悪口が書かれたサイトには興味を示す
- 匿名性のあるサイトやSNSで毒を吐く
- 体育館や運動場でスポーツに励むことがある
- 「どうやったらそう読む?」みたいな名前の二世信者がいる
- 年齢の近い一世信者との間に微妙な空気がある
- 自分の宗教の矛盾に葛藤する
- 「あれ?前と言ってること違くね?」ってなることがある
- 親が宗教勧誘する際に連れまわされる
- 宗教をやめるといった時の親の反応は様々
- どうやって「宗教をやめる」と伝えるか迷う
- 聖人気取りの親にうんざりしている
- 宗教をやめる前後は面白いほどに情緒が豊か
「え?なにその世界観??」とよく言われる
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
自分ではふつうだと思っていたけど、一般の人に「え?なにその世界観??」と言われて、宗教故の思考だと気付く。
特にカルト色の強い宗教は、一般社会との交流を制限する傾向があります。
そのため、その中で育った二世信者たちは、一般常識からは少しずれた思考を持っている方が少なくありません。
すると、職場や学校では
「え?なにその世界観??」
「どういうこと??」
という風に周囲を混乱させることが多くなります。
察してください(笑)
友達に自分の宗教を隠す
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
友達に自分の宗教隠す。全力で。
(家とか入れない)
ほとんどの二世信者が社会的に見て自分の宗教は怪しいと「認識」しています。
だから学校の友達には自分が宗教の二世だと知られたくありません。
二世信者の家には、その宗教ならではの
- 祭壇
- 置物
- 本
などが置かれていることがほとんど。
それを何も知らない学校の友達に見られることは恥ずかしいと考えている二世信者も多いです。
そのため、自分の家にも入れようとしません。
宗教活動を優先させられる
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
学校のルールより宗教のルールを優先して先生の怒られる。
学校や会社などの集団生活になじめなかった二世信者も多いです。
宗教のルールを順守するように親から言われているため、それが禁止されている可能性もあります。
- 食べるもの
- 使うもの
- 付き合う友達
- 部活
- 活動時間
宗教によって決められたルールは、社会のルールより優先させられることが多いです。
特に先述したように、自分の宗教がバレたくないという思いから、なぜ自分が人と違う行動をしているのか説明をためらう二世信者も少なくありません。
無理解の周囲からは怒りを買うこともしばしば。
遊びよりも宗教
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
決まった時間に決まった儀式があって、遊びも中断させられる。
決まった日に決まった集会があって、遊ばせてくれない。
決まった季節に決まったセミナーがあって……
とりあえず、遊ばせてくれない。
大好きな友達とたくさん遊びたい。けど、
- 毎日決まった時間に儀式
- 夏休みは子供向けセミナー
- 土日は説法や礼拝
と宗教活動で時間がとられます。
全力で遊んだ記憶が少ない…。
友達を「部外者」として扱われる
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月27日
親は自分の友達を「部外者扱い」することがある
・世の子
・この世の子
・一般の人の子
・悪魔世界の子
・サタン世界の人
・霊格が低い子
・霊的基準が低い子
「世の子と遊んではいけない」と言われる。大好きな友達が悪魔扱い。
あなたの宗教はどれ?
信者の中には宗教を信じている自分たちと、それに従わない一般の人たちを太い境界線で仕切っている人が少なくありません。
あからさまには差別しませんが、
「自分より下の人たち」
「自分たちの教義を理解できない可哀そうな人たち」
という考えが態度に現れることがあります。
二世信者の中には、そのある意味で差別に近い視点を自分の友達に向けられた経験がある人も多いです。
大好きな友達を差別されるような気持になります。
「あんまり“この世の子”と遊ぶんじゃない」
と悪びれる風もなく言ってきます。
当然です。
自分たちは「正しい側の人間」だと思っているので、差別すら肯定されるんです。
授業参観に親はあまり来ない
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月27日
小学校の授業参観、親が来ない。宗教活動のほうが忙しくて。
親子で取り組む系の授業は先生が付いてくれる。時々、友達のお母さんが気を遣ってくれる。
熱心な信者は、
- 運動会
- 授業参観
- 三者面談
- 家庭訪問
といった親子参加型の学校行事にも顔を出しません。
それよりも宗教活動を優先させているためです。
後ろめたさはあるにはあるのですが、「信仰を優先するのが最善」と思い込んでいるので学校行事は二の次になりがち。
残された二世信者は周囲の友達が親子で楽しそうに行事に取り組んでいるのを指をくわえながら見ています。
存在価値が宗教の中にあると教わる
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
親から「お前が●●教を否定するなら、その中で生まれたお前の存在価値はない」と、言われている二世に一人か二人は会ったことがある。
(自分が当事者ってこともある)
これは少し説明が難しいのですが、かなりコアな問題です。
親が両方とも熱心な信者でその間に生まれた二世信者は、自分のアイデンティティ(存在価値)に宗教が深く関わってきます。
親と子という一対一の関係性ではなく、そこには宗教信者としての関係も存在しているのです。
二世信者が宗教をやめようとすると親としてではなく、裏切り者の信者として非難されます。
社会に出たら実力の差に絶望する
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
学生だった頃にバリ教だった二世が、社会に出たら大したことないやつだったケースはザラにあると知っている。
(話してみて口だけの人を見分けられるようになっている)
宗教活動を優先した二世信者の中には、周囲の信者からもてはやされて有頂天になっている人が多くいます。
しかし、中学高校で部活もせずにずっと宗教活動ばかりしていた二世信者は、社会に出たときにとても痛い目に遭うことが少なくありません。
一般社会の人たちが一生懸命に勉強している中、その二世信者は口達者に信仰について語っているだけで、実際には何の実力も伴っていないからです。
中学高校のころは「すごいこと言ってるな!」と感心していた二世信者が、いざ社会にでると、全然仕事ができない、むしろ足を引っ張る存在になるのです。
本人もそうですが、そう仕向けた親や周囲の信者の責任もあるでしょう。
「やめる」というと親にキレられる
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
「やめる」って言った時の親や兄弟の反応が予想を大きく上回ってビビる。
(まさか血の繋がった人に「裏切り者!」と言われるとは…)
熱心な信者を親に持った二世信者が宗教をやめる際には、それなりの覚悟が求められます。
親や家族がそれを止めようすることがあるからです。
やめると言って「裏切り者!」と罵られることもあります。
中には力づくで止めようとしてボコボコに殴られて入院したという二世信者、鼓膜が破れるほど殴られて耳が遠くなったという二世信者もいるほどです。
親は自分の宗教が絶対的に正しいと思っているのに、我が子がそれに対して異を唱えていることを受け入れられないのです。
まるで自分の人生を否定されているようで…。
親から暴力や暴言、虐待を受けたことがある
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
宗教故に親から、
パンチ
キック
張り手
傷付く言葉
ムチ打ち
無視
家から追い出し
と、何かしらの仕打ちを受けたことがある。
(まるでスーパー●●人のバーゲンセールだな)
やめる以外にも宗教の教義に 沿わない行動や言動をした場合には、何かしらの制裁を受けることがあります。
これらは二世信者の心に深く傷を残し、大人になってからも忘れられない記憶になりかねません。
想像してみてください。実の親が、実の子以上に宗教を優先するのです。
なかなかきついですよ?
親に暴言・暴力を受けるのだから、そうさせた宗教を嫌いになる二世信者も多いでしょう。
自分の宗教の悪口が書かれたサイトには興味を示す
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
自分の宗教の悪口が書かれたサイトやブログにはすごく興味がある。
信仰があるうちは「見ないよう見ないよう」努力したけど、信仰が薄れてくるとジェットコースターよろしくで一気に見る。
インターネットが普及したことにより、より多くの情報が手軽に入るようになりました。
しかし、カルト色の強い宗教にとってそれは都合の悪いことでもあります。
自分たちの裏の顔を知られるきっかけになるからです。
二世信者に対しては「信心に悪影響を及ぼすからネットを見るな」と言います。
けど、実際は二世信者としても自分の宗教のことが気になっているのです。
見ないわけにはいかないでしょう。
最初はいかがわしいサイトを見るかのようにそっと見ます(笑)
匿名性のあるサイトやSNSで毒を吐く
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
ツイッターやブログ、2ちゃんなど、匿名性のあるもので、鉄をも溶かす毒を吐く。
吐いて吐いて吐いて…
落ち着いたら今度は冷静に自分の人生見つめ直す。(あ、まだ、毒残ってた。ピーーーー)
今ではTwitterなんかに多くの心の悩みを抱える二世信者がいて、自分の宗教に対する毒を吐いています。
Twitterがまだ世に出ていないときは、2ちゃんねるが心のすさんだ二世信者の憩いの場でした(また「2」ってw)。
私のいた宗教になりますが、2ちゃんねるは見てはいけないと言われていました。
バリバリ毒を吐く二世信者もいれば、少し冷静なツイートに徹する二世信者もいます。
ある程度毒を吐ききったら、その後は何か違う道を模索しだすことも多いので、まずは愚痴目的でもいいので、二世信者はTwitterを始めたら良いと私は思っています。
体育館や運動場でスポーツに励むことがある
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
でっかい体育館で、二世信者同士のスポーツ交流に参加したことがある。大体、信仰はないけどスポーツが好きだから来たっていう二世信者、何人かいる。
宗教はイベントが大好きです。
その中で二世信者がよく集まるのがスポーツ系のイベントです。
信仰心はないけど、スポーツをする機会としてイベントに参加する二世信者は多くいます。
場所はどこかの体育館や運動場を借りることが多く、
- バスケット
- バレー
- サッカー
といった集団でやるようなスポーツを中心にやります。
そうすることで仲間意識を高めて、普段宗教活動に参加してこない二世信者にアプローチしやすくするのが狙いです。
「どうやったらそう読む?」みたいな名前の二世信者がいる
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
キラキラネームの先駆けみたいな名前の二世信者、一人か二人は知ってる。自分だったりする。
具体的な例は控えますが、その宗教の中で生まれたがゆえにちょっと普通とは違う名前を命名されることがあります。
キラキラネームの流行にむしろ救われた二世信者もいるはず。
「この名前には〇〇様(教祖)への信仰という意味がある」とか、本人からしたら「いや、知らん知らん!」といったところでしょうか。
教祖や幹部が直接名前を付けることも多いです。
「あなたの名前は◯◯様(幹部)がつけてくださったのよ!」と誇らしげに親は言うけど、その幹部がなんかやらかして捕まる。
名前を付けられたほうは複雑。親は話題に触れなくなる、なんてこともあります。
年齢の近い一世信者との間に微妙な空気がある
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月27日
比較的年齢の近い一世信者との微妙な距離感。
・一世は宗教活動へ積極的に参加させようとする
・二世は自分のテリトリーを守るか、二世同士で集まる
・歳は近くても一世同士の集まりに二世はなかなか馴染めない(なんか違う)
・「二世は清い」とか立場の上下が不明確でやりにくい
自分の意志で入信した信者、つまり一世信者の中には、二世信者と年齢がそれほど離れていない人もいます。
ここでいくつかの問題が出てくるんです 。
宗教によっては「二世信者は清い存在」として扱われることがあるのですが、宗教活動に対して活発に取り組んでいるのはむしろ一世信者のほう。
二世信者は悲観的だったり非協力的だったりします。
一世信者は頑張っているのに二世信者よる劣るような変な評価のされ方をしていて、微妙な空気になることがしばしばあるんです。
自分の宗教の矛盾に葛藤する
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
幸せになるための宗教のはずが、冷静に周囲の信者を見渡してみると、家庭崩壊していることが多いことに気付く。(あれ?教祖は?幹部は?ウチは?)
リアルな目で観察した時のショックすご。
宗教の教義を破っているのはほかならぬ教祖や幹部だったりします。
自分たちはお酒を飲むな、女と遊ぶなと言われて我慢しているのに、
- 飲酒をしている幹部を目撃する
- 幹部の女性スキャンダルが報道される
ということが起こるのでたまったもんじゃありません。
特に「家庭の平和が大切」みたいなことを言う割に、教祖や幹部、周辺の信者の家庭環境は崩壊しまくっているんです!
言っていることと実際の差が激しすぎて、その矛盾に葛藤している二世信者は相当数いるはずです。
「あれ?前と言ってること違くね?」ってなることがある
これは分かりますw
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年11月13日
あれ?前の時こうだったよね?
「前より良くなったのよ〜」
「時代が変わったわね〜」
「昔はダメだったけど、今は良いんだよ〜」
誰かの都合だと思う#二世信者あるある https://t.co/GB9OBrC7sT
二世信者が葛藤するもう一つの要因が、宗教の言っていることがコロコロかわることです。
- 時代が変わった
- 新しい世界が開かれた
みたいなことを言っては内容が変化しまくるんです。そしてある日、ネットでいろんな情報を取得して気づきます。
「変わったのは時代じゃなくて、教団の都合だったんだ」と。
親が宗教勧誘する際に連れまわされる
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
親が宗教勧誘する時、なぜか連れ回される。「子供が一緒だとあまり悪く言われないから」だと。自己都合。
子は自分の親が人から避けられている姿を見ながら傷付いている。
親が宗教勧誘する際、我が子を一緒に連れていくことがあります。
子供が一緒にいると話しかけても気を遣ってくれるからです。
子供が見ている前で悪態をつく人は多くないでしょう。
暑くても寒くても、関係ありません。
子供を利用してでも宗教勧誘をして、信者を集めたいのです。
自分の親が周囲の人たちに蔑視されている姿を見ながら、子供が傷ついていることも知らずに…。
宗教をやめるといった時の親の反応は様々
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
「宗教やめる」と言った時の親の反応
・説得してくる
・キレる
・暴力をふるう
・無口になる
・動揺する
・他の信者に説得してくれるよう依頼する
・祈りだす
・愚痴を言う
・「一回だけセミナーに参加してみて!わかるから!」ってわけのわからんこと言う
・理解を示す
二世信者が「宗教をやめる」と親に伝えると、そこにはいろんな反応があります。
ほとんどの場合は説得を試みます。
過激な親になれば暴言や暴力を行使することもあるので、どちらにしろ二世信者にとってはかなりの修羅場。
少ないですが「お前の人生なんだから、宗教もお前が決めなさい」と理解を示してくれる親もいます。
どうやって「宗教をやめる」と伝えるか迷う
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
宗教をやめる意志を伝える方法
・直談判
・電話
・メール
・チャットアプリ
・手紙
・活動不参加
・自然消滅
・他人に言ってもらう
・駆け落ち
親にやめると伝える際にはどんな方法で伝えるかに迷います。
直接または電話で伝えるのも良いですが、感情的になりやすいこともあり、まずは文字ベースの
- メール
- 手紙
- LINE
で伝えるケースが多いでしょう。
聖人気取りの親にうんざりしている
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
親が自己矛盾に陥っている時の表情は簡単に分かる。目とこめかみあたりを見ると分かる。
あと聞いてるフリして、「これから信仰者の鑑みたいな言葉を言うたるぞ〜!」と思っている時の顔も分かる。
(目の焦点が合ってない〜)
カルト色の強い宗教を信仰している信者は
- 聖なる存在でありたい
- 崇高な人物だと思われたい
- 人に「教え」を与える聖人でありたい
という欲求が色濃く出ることがあります。
聞いてもいないのに人生の先輩風を吹かせようとする信者も少なくありません。
その子である二世信者は、そんな親の聖人気取りを間近で見ているものだから、「またかよ」ってウンザリしています。
「素晴らしいことを言った!」と自分に酔いしれている親の横で、二世信者は複雑な気持ちになっているんです。
宗教をやめる前後は面白いほどに情緒が豊か
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
やめる前後は余裕がないけど、やめてからしばらく経ってからは、「なんだよそれ!怪しい宗教かよ!」っていうツッコミができるようになる。
(元二世という背景から、何故か突っ込んだはずの自分が一番ツボに入っている)
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
別のスピリチュアルにハマることがある。引き寄せの法則とかホオポノポノとか。
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
やめたばかりは、
・自己啓発書
・ビジネス書
・スピリチュアル系
・哲学
・他の二世信者の体験談
など、とにかくいろんな情報をかき集める。
(遅れた分を取り返さねば!1人でも生きていけるくらい強くならねば!実力をつけねば!)
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
「やめる」って言った時の親や兄弟の反応が予想を大きく上回ってビビる。
(まさか血の繋がった人に「裏切り者!」と言われるとは…)
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
「ジーザスキャンプ」っていう宗教のドキュメンタリー映画を観ると、
苦笑い、爆笑、下手したら発作を起こす。
#二世信者あるある
— カチローはもう二世信者じゃない (@neutral_kachiro) 2018年10月23日
「宗教やめた二世信者」の発言傾向
感情型:マジ●●教クズ!
理論型:●●教はこう言う点がおかしい
無関心型:●●教?どうでもいい
軽蔑型:え?あんなのまだ信じてんの?
譲歩型:俺は信仰しないよ。“俺”はね?
巻き込み型:お前もやめとけ
宗教をやめる前後の二世信者は様々な感情を抱きます。
今まで自分の存在価値だと教えられた宗教から離れるのですから無理もありません。
Twitterでつながっている二世信者が「宗教をやめるのに死ぬ覚悟は必要だ」とツイートしてるのを見かけたとき、ある意味で的を得ていると感じました。
今いる世界から違う世界に羽ばたくことを人は死と呼びますからね。
今まで生きてきた「宗教」という世界から、「一般社会」という世界に飛び出すんです。
宗教をやめて「生まれ変わる瞬間」には感情の渦をトンネルにしながら突き進むのかもしれません。