僕が宗教をやめた理由

【実録】30年間信仰していた新興宗教をやめた男の体験記

“宗教”という条件つきの家族関係

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きどき悲しくなるんです。わたしが宗教をやめる前後のことを思うと…

家族とは非常に仲が良く、周囲の人たちはいつもほめてくれたり、感心したり、「うらやましい」と言ってくれる人もいました。

子どもの頃のことを思い出しても、やっぱり普通の家庭よりは兄弟も仲がよかったように思います。当然、家族としては今でも仲は良いのかもしれません。

 

しかし、宗教をやめた今ではどこまでが家族の関係で、どこまでが宗教の関係だったのかわからなくなってくるんです。

自分自身宗教の中にいた時は何も感じていなかった家族関係が、宗教をやめた途端、

「あれ?ぼくら家族ってこんなだっけ?」

と、思うことが多くなりました。

 

宗教をやめてみてその関係性に冷静な目を向けることになった時

  • 家族としての関係
  • 宗教信者としての関係

この2つの異なった関係が自分の家族にあったことに気づいたんです。

 

neutral-life.hatenablog.com

 

ただ純粋に家族という関係ではなく、そこには常に宗教信者としての関係性がわたしたち家族を監視していたことに気づきました。

そして今わたしに声をかける家族の姿は、この2つの関係性の「葛藤の狭間」にいます。

 

わたしが「宗教をやめる」といったとき、家族には2つの感情が見えました。

1つは「家族として応援してあげたい」という感情です。

信頼と言った方が良いのかもしれません。それは心地よく無条件になんでも受け入れてくれる、文字通り“家族としての関係性”でした。

 

しかし数分後、それまで話していた家族とはまるで別人のような姿を目にすることになります。途中までは「カチローがそう思うならいいよ」と言っていたはずなのに、途中から急にわたしを批判し始めたのです。それは突然でした。想像できますか?

これは現実にわたしに起きた話です。

 

途中までは家族として話していたのに、突然“宗教信者としての関係性”が警告をだしたのです。

「あんたは間違っている」
「〇〇さま(教祖)の気持ちや教典を理解できていない」
「分派にでもなるつもり?」

気づきましたか?これは家族の会話ではありません。信者が信者を説得、または批判するときの会話です。

つまりこの会話をしているときは親と子、兄弟という関係ではなく、宗教信者ともう一度伝道するべき二世信者(わたし)の会話なんです。

 

家族の関係性は信頼が土台でした。しかし宗教としての関係性はどうでしょうか?

「(その宗教の言うところの)間違った方向にいかないように教育しなきゃ」
「教典に沿わないことをしようとしたら注意しなきゃ」
「毎週ある集会やセミナーに参加させなきゃ」

宗教としての関係、ある意味ではお互いを監視し合う関係性です。家族でお互いを監視していたことに気づきました。そして信者として、わたしはいわゆる「裏切り者」です。

 

ある意味では「宗教を肯定している」という条件のもと家族でした。

 

わたしはただ純粋に家族として接していこう、そう思っています。しかしわたしたち家族は今でも「宗教としての関係性」と「家族としての関係性」の狭間で葛藤し続けています。

 

そう思うと、ときどき悲しくなるんです。