「親や兄弟、自分の子どもが評判の悪いカルト教団に入信してしまった」
恐らくご家族としては心配になることでしょう。
わたしは新興宗教の中で生まれて、30年後にその宗教をやめました。そのためどうやって身内の信仰をやめさせるかということは専門ではありません。
しかし、新興宗教の中にいた経験的視点から、
- どんな心構えが必要か
- 何をしてはいけないか
というのは何となくわかります。
今回はその心構えについてカンタンにまとめました。
心構え①:説得しようとしない~北風と太陽なら太陽~
イソップ寓話の「北風と太陽」という物語を知っているでしょうか?
知らない方のためにちょっと紹介します。
【北風と太陽】
ある日、北風と太陽が「どちらが強いか」議論をしていました。
北風は
「どんなものでも簡単に吹き飛ばすことができるのだからわたしは世界一強いんだ!」
と言いました。
それを聞いた太陽は
「では、どちらが世界一強いのか力くらべをしてみようじゃないか?」
と言いました。
すると北風と太陽は、目の前を歩いている旅人が歩いているを見つけます。
そこで北風はアイデアを思いつき、太陽にこういいました。
「あの旅人が着ている服を脱がせた方が強いことにしよう!」
太陽はその勝負を受けます。
早速、北風は旅人の服を吹き飛ばそうと思い、力いっぱい風を吹きかけました。
・
・
・
ところが旅人の服は脱げません。
それどころか、旅人は風に飛ばされないように服をしっかりと握ってしまい、さらに寒がってコートをもう一枚羽織ってしまったのです。
さて今度は太陽の番です。
太陽は力いっぱい輝き始め、陽を照らしました。
・
・
・
すると、先ほどまで寒かったその場所は、みるみるうちに暑くなってきたのです。
今度はあまりの暑さに、旅人は着ていた服を脱いでしまいました。
それを見た北風は、何でも力だけで解決しようとしていたことを反省し、力自慢をすることはなくなりました。
説得してやめさせようとするのは北風のようなやり方
なんとなくイメージはつくと思いますが、
「説得してやろう」
「宗教をやめさせてやろう」
このように考えるとむしろ状況はどんどん悪い方に進みます。
ほとんどのカルト信者が理屈ではなく、感情的な動機で信仰をしているのをこの目で見てきました。
教団に入信する過程で、
- 強い感情的揺さぶり
- 経験したことのない感動
を覚えたことが信仰に至った原点です。
感情的になっている人に理屈など通用しません。
そしてほとんどのカルト信者は感情的な行動が慢性化しています。
無理矢理やめさせよう、説得しようとすると、コートをさらに上に羽織った旅人のごとく、宗教をやめることに対して頑なに抵抗する結果につながるでしょう。
太陽のようにそっと見守る気持ちが肝心
北風のように強引にやめさせようとするのではなく、あえて本人の意思を尊重する立場をとるようにすることが肝心です。
こう言うと「それは怪しい宗教をやってもいいと許可したようにとらえられないだろうか?」と不安になるでしょう。
実際にその可能性はあります。
ただし“本人の意思を尊重する”というのは、その言葉ほど甘いものではありません。
本人の意思を尊重するということは、
「あなたの人生のことは、最後まであなたが責任を持ちなさい」
「人のせいにするなよ」
「自分が選んだことなんだから、自分で考えて行動しなさい」
というメッセージになるからです。ある意味北風よりも冷酷です。
北風のように強い風でコートを吹き飛ばされたなら、それは北風のせいにすることができます。
しかし太陽のように本人の意思に任せた場合、コートを脱ぐのも着続けるのも本人の責任です。
相手の人生に踏み入らない責任が家族にもあります。
本人の人生なのですから、責任も本人に取らせるようにしましょう。
心構え②:立場を明確にしておく
心構え①と似たような内容にはなりますが、入信した身内と自分との立場を明確にしておくことも重要です。
ほとんどの新興宗教が家族や親戚を勧誘することを推奨しています。
理由は個人で信仰するよりも家族で信仰してもらった方が宗教をやめる可能性がぐっと低くなるからです。
それは宗教側の組織的都合でもあります。
しかし一度家族で信仰を始めてしまうと、あとからその宗教をやめることが困難になります。
- 家族という関係性に常に宗教が絡んでくる
- 本人の意思決定が家族の意見と教義との照らし合わせで左右される
- 一人が宗教をやめると家族の関係性に傷がつく
- 選択の自由が奪われる
あげればキリがありませんが、一人の人間の行動が大きく制限される可能性があります。
わたしの家族も信仰を続けているので、いまだにどうやってわたしを引き戻そうかと定期的に話し合っているようです(親がメールのやりとりをしているのをたまたま見てしまいました)。
家族としては一員、けど人としては別人
たとえ家族であっても別の人間です。
本人にはそのことをしっかり伝えるようしましょう。
「あなたはわたしたち家族の一員です」
「けどあなたの人生はあなたのものです」
「あなたとわたしの繋がりは家族であって、それ以上でも以下でもありません」
「あなたが信じる宗教とわたしたち家族とはまったく関係のないものです」
つまり「家族の一員としては認めてあげる。同時に一人の人間としても尊重してあげる」ということを明確にしておくことです。
人によってはこれを冷酷だと思うかもしれません。「家族だから心配なんだ」と。
しかし、わたし自身宗教をやめて、家族との関係を見直してみて思ったのは
「家族という関係性に余計なものは必要ない」
ということでした。
ただ一対一の関係で良かったのです。
神が仏が教祖様がわたしたち家族を守ってくださっている、と余計なものを持ち出さなくても、家族は家族だと気づきました。
それ以外のことは本人の人生を尊重できる、それが本当の意味で“家族”なのではないかと思います。
だから本人とは「家族としては一員、けど人としては別人」という立場であると話し合うのがいいのではないでしょうか?
心構え③:帰る場所を常に準備してあげる
心構え②で「家族としては一員、けど人としては別人」と言って突き放している印象がありますが、家族としてはいつでも迎え入れてあげることも必要です。
わたしのいた宗教でもそうでしたが、新興宗教には家族から反対されながら入信した信者が少なくありません。
そして帰る場所を失ってしまったのです。
家族に見放されたと思い、居場所を無くしてしまった信者が行き着く場所はもう教団しかありません。
すると、自分の選択肢が制限されてしまうので「わたしにはこの教団の中で生きていくしかない!」と本気で思ってしまうのです(そのため意図して家族と距離を置こうとする教団もあるようです)。
心構え②で立場を明確にできているなら、
- 家族としての居場所
- 宗教以外にも帰ることができる場所
を常に作ってあげることも必要です。
もしも本人がその宗教をやめようと思ったときに「それでも受け入れてくれる家族がいる」ということは非常に心強く、背中を後押ししてくれます。
最後に
宗教をやめられない大きな理由はそれに代わる選択肢を知らないからです。
「この宗教こそが真理の中心なんだ」
「この宗教が絶対的に善なのだ」
「この宗教以外わたしを受け入れてくれる存在はないんだ」
このように自分の選択肢を狭めてしまいます。
また、実際そのように思わせる仕組みで信者を集めているカルト教団がほとんどです。
身内がカルト信者になってしまった場合にあなたにできることは、
- 北風ではなく太陽になること
- 本人の人生を尊重すること
- 家族としての関係を忘れないこと
この3つです。
家族は家族、宗教は宗教、そこはしっかりと分けて考えるようにしましょう。