図1:新興宗教信者4つのタイプ
上の図1は新興宗教の中にいる人たちを大きく4つのエリアにわけたものです。
わたしの経験上、信者はこのエリアのどこかに位置しています。
一応線で区切ってはいますが、明確に分かれているわけでもありません。
もっと言えば信者はそれぞれこの4つの要素を持ち合わせているけど、割合偏っているエリアがあるということです。
この4つのエリアではそれぞれ中心的な考え方や態度があり、そのエリアに偏る人たちを4つのタイプにわけました。
- 信仰重視タイプ
- 実力重視タイプ
- リーダータイプ
- 傍観者タイプ
基本的にその人のタイプから対照的な位置にあるタイプの人とは対立しやすく、接点のあるタイプの人とは当たり障りないか、良好な関係を築きやすくなります。
第1回は信仰重視タイプについて解説していきます。
信仰重視タイプの特徴と本質
一般的に「新興宗教をやっている人、カルト教団に入っている人」と言われてイメージするのはこの信仰重視タイプ。
信仰重視タイプはその宗教の教義に陶酔していてそこから外れることはほとんどありません。
特徴〜宗教活動に積極的〜
信仰重視タイプは積極的に宗教の集会・セミナーや活動に参加します。
宗教が生活の中心にあるケースがほとんど。
伝道活動にも積極的で、時々アパートやマンションに宗教の勧誘にくる人たちは大体信仰重視タイプです。
教義が正しいと信じてやまないため、何か教義と沿わない結果になると、
「わたしが足りなかった」
「悪いのはわたしのほうだった」
「努力が足りなかった」
「もしも教義が無ければもっと悪い結果になっていた」
というように、とにかくその宗教を正当化するほうに考えます。
たとえあなたが彼らの言っていることに対して客観的に見て明らかにおかしいと指摘しても、それを認めることはまずないでしょう。
本質〜自己洗脳と強い劣等意識〜
信仰重視タイプの人たちを「洗脳されている」ということがあります。
ある意味でその解釈は間違っていません。
しかしその本質は本人の中にある強い劣等意識が影響しているケースが多いように思います。
「わたしなんて」
「全然足りない人間だから」
「教祖様がこうおっしゃっている」
「教典にはこうかかれている」
これは信仰重視タイプの口癖のようなもの。
このように言うことで、責任を自分以外のもの(教祖や教典)に映しだして自分の行動を正当化します。
強い劣等意識から自分を卑下していることが多く、度々無責任な行動や態度をとります。
そして「わたしはしっかり信仰しているから特別だ!」という思いで劣等意識を忘れようとしているのがわかります。
はっきり言えば、彼らが宗教に積極的なのは、その宗教の教祖や神仏が自分の責任を肩代わりしてくれると思っているからです。
何をやっても最終的な責任は自分ではなく、自分以外の教祖や神仏が負ってくれるのだから、それを維持し続けるために積極的に宗教活動に参加します。
実は洗脳されているようで、そのほとんどは自己洗脳に近いです。
自分に都合よくものごとを解釈して夢から覚めないように必死。見ているこちらは不憫でなりません。
(まあわたしも昔はそうだったんですけどね)
他のタイプとの関係
信仰重視タイプの行動原則は「劣等意識を(一時的にでも)忘れること、目を逸らすこと」です。
それを念頭に他3つのタイプとの関係を見ていくと、その立ち位置が見えてくるでしょう。
実力重視タイプとの関係
信仰重視タイプと実力重視タイプは非常に対立しやすい関係です。
実力重視タイプは信仰重視タイプの基準からすると信仰者として失格。
自分勝手に映るからです。
平気で教義から外れる実力重視タイプの態度にはハラハラしています。
またわたしの見てきた中で、
- 親が信仰重視タイプ
- 子が実力重視タイプ
という場合にはかなりやっかいなことになります。
親子の会話は成り立っておらず、子はその宗教を離れたいけど、親は強引に引き留めようとする。
そうしてどんどん関係は泥沼化していきます。実力重視タイプから見る信仰重視タイプは無責任に映っているため、両者が理解しあうことはかなり困難と言えるでしょう。
同時に信仰重視タイプが恐れるのも実力重視タイプです。
なぜなら実力重視タイプは信仰重視タイプを現実に引き戻すからです。
信仰重視タイプが恐れるのは
「行動」
と
「責任」
です。
実力重視タイプはしばしば信仰重視タイプに行動と責任を追求します。
内心では責任をもたないといけないとわかっている分、実力重視タイプのそのような発言は目障り。
自分の劣等意識が明るみになるのが嫌であえて実力重視タイプと距離を置く人も少なくありません。
リーダータイプとの関係
リーダータイプの人に対しては積極的にアプローチします。
信仰重視タイプの行動原則は自分の劣等意識と人生の責任から目を逸らすことです。
そんな信仰重視タイプにとってリーダータイプはまさに憧れの存在。
リーダータイプに認められると自分の劣等意識がなくなっていくような感覚になります。
まるで自分もリーダータイプの仲間入りをしたかのうようにふるまいます。
実際リーダータイプと信仰重視タイプは見分けがつかないことも多々あり、リーダータイプの集まりに紛れ込むことを好みます。
しかししばらく時間を一緒に過ごすと、信仰重視タイプ独特の責任を転嫁する態度が見えてきます。
そこをリーダータイプや実力重視タイプに指摘されると極端に落ち込むか反抗にでるのでかなりやっかいです。
傍観者タイプとの関係
傍観者タイプとの関係は割合良好です。
それは自分の方が彼らより「清い信仰心を持っている」と思えるから。
強い劣等意識を持っている分、自分より下にいる人間に対しては優越感を抱くことができます。
傍観者タイプは信仰重視タイプにとって自分を気持ちよくしてくれる存在なのです。
説教したり、優しくしたり、時には小ばかにして自分の優越性に浸ることもよくあります。
ただし傍観者タイプは気まぐれな人が多く、積極的に宗教活動に参加してこないので、気を使って優しくしている節もあります。
教団(宗教組織)との関係性
信仰重視タイプは教団にとっては重要な資源です。新興宗教は信仰重視タイプで成り立っていると言っても過言ではありません。
- 経済的資源:喜んでお布施を納めてくれる
- 人的資源:何を言っても教団の都合よく解釈してくれる
- 発展的資源:新しい人を伝道してきてくれる
もしも宗教をビジネスに置き換えるなら、信仰重視タイプは優良顧客とでもいうべきでしょうか?
宗教組織にとって信仰重視タイプはなくてはならない存在です。
経済的資源~喜んでお布施を納めてくれる~
宗教法人をやるにはそれなりにお金が必要になります。
その資金源の多くは「お布施」とか「献金」と呼ばれる、信者から自主的に納められるお金です。
そして信者の中で1番お布施を払ってくれるのがこの信仰重視タイプ。
お布施は信仰重視タイプにとって「信仰の証」のようなものです。
お布施をしないという選択肢は信仰をしていないということになるので、彼らにとっては苦痛以外の何ものでもありません。
宗教をやっていない人から見ると「なんでそんなことにお金を支払うの?」と疑問に思うかもしれませんが、信仰重視タイプにとって教団への献金は、
- 教団内での名誉
- 教団が定義する安心・安全
を獲得するための死活問題なんです。
当たりもしない宝くじで夢を買う感覚に似ていますが、献金をしなければ未来が保証されないと思ってしまい、その感情は宝くじを買うより複雑です。
(わたしの親も「どうやって献金しようか…」といつも頭を悩ませていました。いやいやいや…それ俺の給食費…)
人的資源~何を言っても教団の都合よく解釈してくれる~
信仰重視タイプはちょっとやそっとではその宗教を疑うことはしません。
面白いのが教団の方針が変わって、今までの教義と違う方向に変わっても、大抵はそれに従います。
「今までとは時代が変わった」
「教祖様(または神仏)が許された、赦された」
という言い方をして、自分の理性を説得しようとします。
実際に変わったのは時代ではなく教団の都合なのですが…
積極的に活動にも参加してくれるので、教団の運営する自己啓発セミナーにも数合わせ(サクラ)で参加することも少なくありません。
わたしも数えきれないくらいやったことあります。(笑)
発展的資源~新しい人を連れてきてくれる~
先の文中でも触れましたが信仰重視タイプは新しい信者を量産してくれます。
良いものがあれば他人に勧めたくなるもの。
信仰重視タイプは自分の信仰している宗教を心から良いものだと思っているので、家族や友人、親戚にまでその良さを伝えて、教団に引き入れようとします。
信者によってはそのバイタリティはすごいものがあり、まったく知らない人の家でも飛び込んで営業マンばりに勧誘します。
数を打てば当たるもので、たくさんの人に声をかけその内の何人かを宗教へ引き込むことに成功します。
すると教団からは新しい人を連れてきたということで重宝される、それがまた次の行動へと駆り立てるのです。
信仰重視タイプの問題点
最後に信仰重視タイプの問題点について少し触れておきます。
恐らくここまで記事を読んでくださったあなたならお気づきのことかと思いますが、信仰重視タイプは人生の責任から逃れるために宗教を信じているケースがほとんどです。
宗教は現実から目を逸らす手段の1つ
とはいっても世の中には自分の人生に責任を持てる人のほうが少数です。
人生の責任を忘れる手段として、
- 部屋に引きこもる
- ゲームで余計な時間をつぶす※わたしもゲームは大好き♥
- 楽しくもない職場で仕事をする
などなどありますが、信仰重視タイプはその手段として宗教を選んだだけのことです。
人は誰でも充実した生活を手に入れたいもの。
ある意味宗教活動はそんな充実した毎日を提供してくれます。
自分以外のものが自分の人生の舵を切ってくれると勘違い
しかしそれは疑似的で見せかけであることがほとんどです。
「神が、キリストが、教祖様が道を示してくれる」
「この宗教が私を救ってくれた」
「祈れば神が問題を解決してくれる」
「時代がやってきた」
信仰重視タイプはよくこのような言い方をします。
それがまるで良いことのように言っているんです。
しかし、もう一度この言葉を読み返してみてください。
自分以外の存在が主語なっていることに気づきませんか?
つまり自分の人生のコントロールを自分以外のものに渡していることになります。
「私」が主語にないということは「私」は何もしていないんです。
「私」が何もしなくても船の舵は「私」の都合よく面舵一杯切ってくれると思っています。
あまりにも身勝手な発想です。
その道しかないのではない。
それに代わる選択肢を知らないだけ
信仰重視タイプは、
「私なんて小さい人間だ」
「1人では何もできない」
「あの人と比べたら劣っている」
というような自身への劣等意識が強いことが影響してか、意思決定や行動の選択範囲を制限する傾向があります。
※話を聞いてみると育った家庭環境も影響しているようですがそれはまた別の機会に…
そんな信仰重視タイプにとって見せかけでも劣等意識を忘れさせてくれる宗教活動やお布施(献金)は願ってもない存在です。
特に熱心な信者になると「私にはこの道(宗教)しかない!」というような言い方をします。自分で選択肢を狭め続けた結果のようなものですね。
ただ実際はそれに代わる選択肢を知らないだけです。
信仰重視タイプに必要なのは神や仏や教義に頼らなくても、自分の力で生きていけるという静かな自信です。
静かな自信さえ身につけば、もうその人に宗教は必要ありません。
自分で風を読んで自分の手で船の舵を切れるようになるでしょう。
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