図1:新興宗教信者4つのタイプ
上の図1は新興宗教の中にいる人たちを大きく4つのエリアにわけたものです。
わたしの経験上、信者はこのエリアのどこかに位置しています。
一応線で区切ってはいますが、明確に分かれているわけでもありません。
もっと言えば、信者はそれぞれこの4つの要素を持ち合わせているけど、割合偏っているエリアがあるということです。
この4つのエリアではそれぞれ中心的な考え方や態度があり、そのエリアに偏る人たちを4つのタイプにわけました。
- 信仰重視タイプ
- 実力重視タイプ
- リーダータイプ
- 傍観者タイプ
基本的にその人のタイプから対照的な位置にあるタイプの人とは対立しやすく、接点のあるタイプの人とは当たり障りないか、良好な関係を築きやすくなります。
第4回はリーダータイプについて解説していきます。
リーダータイプの特徴と本質
リーダータイプは信者の中で存在感と影響力のある人たちのことです。
リーダーといっても必ずしも幹部というわけではありません。
- カリスマ性
- 人間としての魅力
で周囲の人たちから憧れや尊敬を集めている人です。
ただ実際、非常に頭が切れるので全体をまとめる立場になりやすくなります。
特徴~人格と実力を兼ね備えた魅力的な人~
リーダータイプはその
- 高い精神性・人格
- カリスマ性
- 実力・能力
- 自律性
などから、周囲からは憧れに近い眼差しで見られます。
実際にリーダータイプはただ歩いているだけで周囲とは違う空気をかもし出していて、彼らを無視することはできません。
周囲には常に誰かがいて、リーダータイプが自分に関心を向けてくれることを望んでいます。
そんな人たちはリーダータイプに良い評価をもらうと燃え、低い評価または叱られると非常に落ち込みます。
言葉にも重みがあり、周囲の尊敬を一身に集めるその特性は例え信者でなくても引き込まれそうになるほど。
実際に伝道活動でリーダータイプが入信候補者と話すと、信者になる可能性は高まります。
本質~100%自分の意志で信仰している~
リーダータイプは100%自分の意志でその宗教を信仰しています。
そのため自分以外の神や仏、教祖に責任を押し付けることはしません。
その宗教が心から正しいと信じていて、組織の発展と布教のためにその身を捧げます。
リーダータイプに教育は必要なく、特別指導しなくても実績を持ち帰ってくれる、そのため宗教組織としては貴重な人材以外のなにものでもありません。
ただし自分の考えがハッキリしている分、他の幹部などと意見が対立しやすいのも事実。
それだけ信仰に熱いということです。
- 伝道されてきた一世
- 親がその宗教をやっていた二世・三世
どちらのリーダータイプかでも雰囲気が違ってきます。
一世のリーダータイプは教義を厳格に守って良しとする傾向があり、二世・三世は時代に対応した在り方を模索する傾向があります。
あくまで傾向なので二世のような一世ももちろん少なくありません。
- 二世が伝道した一世は雰囲気が二世っぽくなりやすい
- 一世ばかりの環境の中で育った二世は一世っぽくなりやすい
ただしやはり一世と二世とではどうしても雰囲気が違ってくるのは、子どもの時から親が信仰していた二世と比べて、自分の人生を投げ打ってまで入信した一世は覚悟の質が違うことにあるように思います。
他のタイプとの関係
リーダータイプは基本的にどのタイプとも上手く交流することができます。
ただし目的が宗教の発展ということもあり、その目的から離れる人に対しては厳しく接しがち。
そのため傍観者タイプに対してやきもきする姿がしばしば見られます。
信仰重視タイプとの関係
信仰重視タイプはリーダータイプの周りに集まってくる傾向があります。
人格的・実力的にも優れているリーダータイプは信仰重視タイプにとっては憧れの存在。
リーダータイプに認めてもらうことが1つのステータスだと思っています。
リーダータイプを囲んで言うこと1つ1つに「うんうん!」と相づちをうっているのは大体信仰重視タイプです。
リーダータイプに強く憧れる信仰重視タイプは、
「認められたい!」
「(リーダータイプに)仲間入りしたい!」
「あんなふうになりたい!」
という気持ちから、リーダータイプの前では俄然(がぜん)やる気を発揮します。
ただし、
- リーダータイプのいう信仰は宗教の発展・布教
- 信仰重視タイプのいう信仰は自分が救われること・認められること
というように信仰観にズレがあることから、行動や態度に違いが生じるので、その点をリーダータイプが指摘する場面はよくあります。
実力重視タイプとの関係
信仰重視タイプと対立しやすい実力重視タイプでも、リーダータイプには心を開くことがあります。
リーダータイプはやはり人としての魅力を放っているので、実力重視タイプにも魅力的に映るのでしょう。
普段は教団に反発しているのに、リーダータイプの誘いなら宗教活動やイベントに参加することがあるほどです。
リーダータイプから見た実力重視タイプは
「信仰面では足りないけど、行動力がある」
「社会に通用する存在」
「信仰を持てば自分と同じリーダータイプになる」
など、一種の期待に近い視点をもつことがあります。
一人の人間として認めてあげることも多く、それが実力重視タイプが心を開く要因になっているのではないかと思います。
だからといってすべてのリーダータイプに心を開くわけではありません。
中には実力重視タイプのほうがリーダータイプより(実力面で)優れていることもあり、その場合は完全に見限られます。
傍観者タイプとの関係
傍観者タイプはリーダータイプにとっては指導・教育する対象です。
信仰に対して熱いからこそ、中途半端な傍観者タイプには少なからずやきもきさせられています。
だからといって頭ごなしに叱ったりするのではなくうまく導いてあげようと考えを巡らせるのもリーダータイプの仕事です。
賢いリーダータイプは傍観者タイプの持っている特殊技能を活かす方法を考えます。
そうなると、
- 宗教を発展させたいリーダータイプ
- 自分の得意分野で楽しみたい傍観者タイプ
と、目的は違っても利害が一致します。
そうなると関係は良好に保たれ、お互いに気持ち的な負担は大きく軽減されることになります。
ただしリーダータイプはあらゆる場面で必要とされる人材です。
そのため一所にずっととどまることはほとんどありません。
そのためリーダーが入れ替わったときに、新しいリーダーが傍観者タイプに理解を示さないとギスギスした雰囲気になります。
教団との関係
教団にとってリーダータイプは信者をまとめるために必要不可欠な存在です。
リーダータイプは積極的に信者を教育してくれて、その魅力的な存在感で人をまとめあげてくれます。
宗教に勧誘されてきた人を面談するポジションにリーダータイプを置くことが少なくありません。
教団が求める「完成された信者」
教団にとってリーダータイプは
- 教団の発展のために身を捧げて活動してくれる
- 教義に強く同調している
- 他の信者を教育してくれる
- 勧誘してきた人に入信を決意させる
と、これ以上ないほど貴重な人材です。
そのため必然的に教団の中心核に責任を置かれることが多くなります。
自分の意志で宗教の発展に貢献したいと考えているので、責任者として採用されやすいのもうなづけます。
教団にとっては「完成された信者」ということもできるでしょう。
教団の方針や都合の良いように行動してくれる、しかも積極的に。これ以上の信者がいるでしょうか。
悪質なカルト宗教なら「洗脳が完了した人」と言い換えることもできます。
分派を創りやすい危険な存在
宗教の分派を創りやすいのもリーダータイプです。
リーダータイプがどんどん責任を任されて宗教の中核に入っていくと、自分が想像していた以上に組織崩壊が起こっているのを目の当たりにすることがあります。
- ドロドロした人間関係
- お布施・献金の搾取
- 堕落・腐敗
- 幹部の教義・ルール違反
このような状況を目の前にすると、リーダータイプはいくつかの選択をすることになります。代表的なのは以下3つ。
- 内部から腐敗を改善しようとする
- 自分もその腐敗した世界の住人になる
- 分派を創って本家で腐敗を知らない信者を改宗させる
ほとんどのリーダータイプが内部から腐敗を改善しようと試みます(1.)。
リーダータイプの中でも意志の弱い人はその環境に逆らえず、他の幹部と同じように精神的に堕落していくこともあります(2.)。
教義に対しては肯定的でも、組織に対して強い反発を覚える人は分派を創ることもあります(3.)。
リーダータイプによってどのような選択をするかは違ってきますが、組織の腐敗を目の当たりにしたときのショックは相当大きく、その後の信仰や宗教活動に大きく影響を与えることになります。
リーダータイプの問題点
リーダータイプの問題は
- 自分の行動
- 宗教の教義
- 組織の方向性
などに対して疑念を抱かないことです。
ある意味では都合よく解釈する信仰重視タイプより厄介です。
善悪観が偏り過ぎて柔軟性を失いやすい
リーダータイプは自分が信じる宗教の教義をベースに善悪観や信念を持っています。
これが極端な勧善懲悪につながりかねません。
実際に自分の
- 信念から外れた言動
- 教義に違反する行動や姿勢
などを目の前にすると冷酷なまでに厳しい態度に変貌します。何かしらの制裁を加えることもあります。
その宗教の教義や自分の信念に服従することを強く要求してくるため、メンタルの弱い信者は恐怖に近い感情を抱きながら活動に参加するようになります。
さらに悪化すると常に張りつめた空気を発し続け恐怖政治になることも。そうしてリーダータイプの周囲にはストレスがつきまとうことになります。
わたしが所属していた宗教にもそのようなリーダータイプが少なからずいました。
行動や態度にそのような空気が漂っていて、わたしは度々そのようなリーダータイプと対立していました。
「教義こそ絶対善」という前提で信仰している
リーダータイプは自分が信じている宗教の教義と教団組織こそが善の中の善だと思っています。
宗教の信仰とはそういうものなので当然と言えば当然ですが、リーダータイプはそれが
- 信念
- 価値基準
- 行動原則
などと結びついているため、教義が空気のごとく当たり前に生活へ根付いています。
たとえ宗教の方針が悪質なものであったとしても、その空気の中にいると悪ですら善に変わることも珍しいことではありません。
法律を破ることも教義の善を果たすためなら躊躇(ちゅうちょ)しません。
リーダータイプにとって教義は法律以上のものとなってしまっているのです。
宗教がらみの事件の中心にリーダータイプがいるのはそれが理由です。
彼らは悪びれることのなく、
「会計は査察が入った時に備えて、表の会計と裏の会計2つ用意しておくんだ」
「査察が入ったら表の会計を差し出せばいい。頭いいだろう?」
「宗教のゴールのためには一般社会にお金を流すわけにはいかないからね(笑)」
というようなことを言います。
いや、それダメだから!
「自由」とはいつでも自分を変えられること
リーダータイプは教義をしっかり守ることこそが信仰だと思っています。
しかし、それが結果的に自分の思考を限定的で不自由なものにしていることに気づいていません。
不自由であることが当たり前になってしまったからです。
教義の中でいう善や悪は時代によって変わり続けることを無視していることがほとんど。
宗教も時代とともに変化し、栄枯盛衰(えいこせいすい)を経ていずれ原型を留めないか消滅していきます。
1つの教義だけに偏った思考で生活してると、いずれ衰退していく宗教に気づかずに一緒に消えていってしまうでしょう。
リーダータイプは自分自身が不自由な生き方を選択していることに気づく必要があります。
そして本当の自由とは、
- いつでも自分を変えられること
- いつでもやめることができること
- いつでも始められること
このことに気づいたときにリーダータイプは不自由な生き方から羽ばたくことができるようになるでしょう。
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