わたし自身、生まれた時から親が信仰していた新興宗教の中で育ってきました。それを30年近く信じていましたが、今はもうやめています。
なぜ30年もかかったのかを考えてみると、結局は「やめ方」を誰も教えてくれなかったからなのだと気づきました。
ネットを見ると
- 脱会届を送り付ける
- 幹部に直訴する
- 弁護士に相談する
と、強引にやめる方法ばかりでした。しかし、恨みながら宗教をやめるのは、自分の人生にとってプラスにはならないようで気が進みません。
感情的になるのではなく、もっと冷静に宗教を去る方法、やめるというよりは卒業して手を振る方法が知りたかったんです。
そこで今回は「正しい宗教のやめ方」と題して、わたしの経験から宗教を卒業する方法について考えようと思います。
宗教をやめる第一歩は「環境を変える」こと
宗教をやめる第一歩は、
- 見るもの
- 聞くもの
- 生活する場所(行動範囲)
- 付き合う人間
を変えること、つまり環境を変えることが大切になります。そうすることで心理的ハードルを下げることができるからです。
宗教をやめたくてもなかなかやめらない理由
新興宗教、特にカルトと呼ばれる宗教の中にいると
宗教をやめること → 大事件!!
というロジックが形成されていきます。
特に、わたしのような二世を含む、長く宗教の中で過ごしてきた信者にとっては、人類が滅亡するくらいに重大な決断だと考えてしまいます。
「やめたら地獄に堕ちるのではないか(仏教系)」
「裁きを受けるのではないか(キリスト教系)」
「霊の世界で苦しむ(その他スピリチュアル系)」
その教理を深く信じていたからこそ、いざそこから離れるとなると難しく考えてしまうんです。人間、手に入れるより、手放す方が難しいですからね。
他にも
- 家族
- 一緒に信仰してきた仲間
- (その宗教の中での)上司・部下
といった人間関係も宗教をやめる際、心理的なハードルを高めている原因です。
「〇〇さん宗教やめるらしいよ」と広まれば、止められたり、泣かれたり、嫌がらせされたりするのではないかという不安が付きまとうからです。
生活環境を変えるだけで心理的ハードルが下がる
実はこのような気持ちは、今のライフスタイルや人間関係を変えることで少しずつ軽くなっていきます。
例えば新興宗教には「〇曜日に宗教の施設や信者の家で定期的な集会」を持つことがあります。
- 説法
- 礼拝
- 勉強会
(特に教典を朗読したり、理解しているか確認あったりするやつ) - セミナー
これを毎週続けているんです。本当はやめたいと思っても、そのような集会に参加していると「やっぱりいいか」と思いやすくなります。
極端な言い方にはなりますが、カルト宗教がそのような集会を持つ理由は「信者に自分で考える時間を与えないため」です。考える時間を与えてしまうと信仰が揺らぐ(つまり宗教を離れる)と考えているからです。
しかし、そのような行事に参加する頻度を減らして、もっと自分で考える時間を持ってみましょう。気持ちが冷めていくことに気づくはずです。
環境を変えて「自分で考える時間」を持つことが大切
環境や習慣を変える目的は「自分で考える時間」を持つことです。信者の多くは
- 自分の人生
- 信仰している宗教
について、客観的な目線でみる時間を久しく持っていません。その時間は宗教活動や信仰に捧げるべきだと考えているからです。環境を変えることで考える余地を与える必要があります。
別の記事で詳しく書こうと思いますが、カルトと呼ばれる宗教は自覚を奪うことで信者をコントロールしようとします。
しかし、今まで習慣にしていたことや生活環境を変えると、思考に隙間ができて、そこから自分で考える「自覚」を持つきっかけが生まれるんです。
自覚が回復すれば、よりフラットな視点で宗教を見やすくなります。
環境や習慣を変えるための提案
ここからは環境や習慣を変える具体的な例をいくつか提案します。
忘れないでください。環境を変える目的は心理的ハードルを下げることです。
今回提案するのは以下の4つです。
- 集会に参加する回数を減らす(なくす)
- 今いる場所から引っ越す
- 転職する
- 読む本のジャンルを変える
もちろんこれがすべて正解だとは言いません。しかし、心理的ハードルを下げるという意味では理にかなっているほうだとは思います。
1.集会に参加する回数を減らす(なくす)
これまで話してきたことそのままではありますが、
- 説法
- 礼拝
- 集会
- セミナー
- 宗教行事
といった信者同士の集まりに参加する回数を減らすことは、自分で考える時間を持つための有効な手段です。
また、日課としてやっている宗教儀式を少しずつやめてみるのもいいでしょう。
わたしの場合は最初数回は定例の集会に参加していました。親が「集会にちゃんと参加しているか?」とよく尋ねられたからです(二世信者の親は、自分の子が集会に参加しないことをめちゃくちゃ心配する)。
どうにかならないものかと思い、あえて定例の集会がある曜日に仕事を入れて参加する回数を減らしました。ていうか参加しなくなりました。
2.今いる場所から引っ越す
文字通り環境を変えるなら引っ越すのが手っ取り早いです。
家族を含め、毎日同じような人たちと付き合っていたのでは考え方が制限されてしまいます。
しかし引っ越すことで、
- 見るもの
- 聞くもの
- 行動範囲
- 付き合う人間
などがガラリと変わります。これはかなり効果的です。
今まで見えていなかったもの見えるようになり、
「あ、こういう考えもあるんだな」
「いろんな人がいるんだな」
「自分のいた宗教は結局世界の一部でしかなかったんだ」
と気づきます。特に自分の宗教について客観的に見れるようになるのは大きいです。
大事なのは他の信者から干渉を受けない場所に引っ越すことです。できるだけ住所は教えないようにしましょう。
3.転職する
仕事を変えるのも新しい見方を手に入れる良い方法です。
付き合う人間も変わりますし、新しい仕事を覚えることは今までとは違った考え方を持つように促してくれます。
また、「本当に自分がやりたかった仕事」を見つけるチャンスでもあります。
カルト宗教は宗教行事を優先させることを強調して、自分のことは二の次にするように説くケースが少なくありません。露骨に夢を持つこと自体批判的な目で見ることもあります。
「それは自己中心だ!」
「苦労するべきだ!」
「それは快楽や欲望に埋もれることだ!」
「悪魔の手下がやることだ!」
と断罪するのです。
わたしは宗教をやめてみてわかりました。わたしたちが持っている
- 才能
- 得意なこと
- 好きなこと
といったものは、自分のためだけにあるのではなく、人生を楽しみながら社会に役立てるように神様が与えてくれたものだと(皮肉なことに宗教をやめて初めて、この世界のシステムを知るっていう…)。
人生、楽しまないことのほうが罪です。
人間一人につき3~4、それ以上の得意分野を持っていると言われています。
転職を通して自分になにができるかを発見しつづけることで、より充実した(そして社会に貢献できる)人生を手に入れることができるでしょう。
4.読む本のジャンルを変える
今までと違った本を読むことで、より冷静に人生を見つめる能力が鍛えられ、結果的に自分の行動を選択できる範囲が広がります。
これに関してはわたし自身の経験則になるのですが、それまでは自分の信仰している
- 宗教の経典に書かれている教理
- セミナーの内容
- 教祖幹部の言葉
が最上級のものだと考えていました。だから、その他の本を読む必要を感じていなかったんです。
しかし、何がきっかけかは覚えていませんが経典以外の本を読むようになりました。
「こっちの方が面白いしわかりやすい」
「観念的じゃなくて実用的だ」
「学校や仕事で役立つことばかり」
もちろんその時も経典が最上級という考えはありました。
そのため、最初のうちは経典と似たような内容が書かれていると「ほら、やっぱりウチの宗教は正しい」と、自分の宗教の正当性を証明するかのように読んでいました。
ところが、いろんなジャンルの本を読んでいくと、フラットな視点でものごとが見れるようになっていくことに気づきます。
「別にこの考えはウチの宗教だけのものじゃないな」
「経典には書かれていないけど、これはこれでいいな」
といった具合です。
すぐに引っ越したり転職したりすることができないという方は、ちょっと本屋に立ち寄って「今までこんなの読んだことない」というような本をあえて読んでみるのも良いかもしれませんね?
まとめ~宗教は卒業するもの~
今回のタイトルは正しい宗教の“やめ方”となっていますが、実際は“卒業”という表現がいいんじゃないかなと思っています。検索エンジンのSEO対策で「やめ方」としているだけです。
本当の意味で宗教を卒業している状態は、その宗教から精神的に影響を受けないことだと考えています。
そのため、
「あの宗教はわたしの時間を奪った」
「悪い宗教だ!訴えてやる!」
と言っているうちは、まだ頭の中でその宗教が影響力を持っていることになります。
宗教をちゃんと卒業していれば、批判することに充てている時間を
- 後回しにし続けた夢
- 大好きな仕事
- 人間関係
などに、もっと有意義に使えるようになるのではないでしょうか?