僕が宗教をやめた理由

【実録】30年間信仰していた新興宗教をやめた男の体験記

宗教をやめたい二世信者へ

宗教を卒業する

 

の記事は二世信者向けに書かれています。

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二世信者が宗教をやめるということ

あなたは生れた時から二世だということでいろんなことを我慢してきましたよね?

 

学校に行き始めたくらいから「明らかに自分の家庭環境と友だちの家庭環境が違う」と気づいた人がほとんどだと思います。

 

なんだか知らないけど

夏休みや冬休みはセミナーに参加させられたり、

親があまり家にいなかったり、

貧乏だったり、

毎朝毎晩よくわからない儀式をしたり…。

 

親が熱心な信者なら、お布施をするように強く言ってきたこともあるでしょう。

わたしなんかカードローンに契約してでもお布施をしろと言われたほどです。


 

このブログで伝えたいのは、わたしの状況があなたより悲惨かそうではないかではありません。

 

ここで伝えたいのはあなたの人生はあなた自身で選べるということです。

 

生れた時から信者として扱われて、望みもしない信仰を強いられたこともあり、そのような環境にした親や家族に対して不満や怒りがあるという二世もいることでしょう。

 

親を責めたい気持ちもあるかもしれません。

しかし、そこにとどまり続けることを選んでいるのもあなた自身だということに気づいてください。

 

宗教はやめるではなく、卒業するもの。

宗教を卒業する

宗教をやめたいと考えている二世信者に言いたいことがあります。

 

あなたは宗教をやめてはいけません。

 

「自分はやめておいて何を言ってるんだ?」と疑問に思うかもしれませんがこれには理由があります。

 

「宗教をやめる」というのには少なからずその宗教に対して批判的な意味合いが含まれています。

すると、あなたはその宗教の批判材料を探すことになるでしょう。

問題はそこにあります。

 

あなたが宗教を批判し続ける限り、あなたの意識の中にはその宗教が存在し続けます。

見方を変えれば、あなたはその宗教から影響を受け続けることを容認していることになります。

 

強く批判すればするほど、あなたはその宗教の影響から逃れることはできません。

壁を強く押せばチカラが跳ね返ってくるのと同じ状況です。

 

あなたがやるべきことは壁を押しつづけて、いつかその壁が倒れることを期待することではありません。

 

あなたのやるべきことはその壁を押すという作業から自由になることです。

 

宗教はやめるのではなく、卒業するものだということに気づいてください。

批判をし続けても手に入るものは何もありません。

手に入れるのではなく、手放すことのほうが重要です。

 

二世信者が宗教を卒業するにはどうしたらいい?

二世が宗教をやめる方法

わたしはお世辞にもうまく宗教を卒業できたほうだとは思いません。

しかし、宗教の外にいる人たちよりはいいアドバイスができるのではないかと考えています。

 

二世信者が宗教を卒業する際、心がけることは以下2つの自立です。

  • 精神的自立
  • 経済的自立

 

精神的自立とは、前の項でお話したように宗教から影響を受けない状態になっていることです。

その宗教がなくても生きていけることを自覚すると言ってもいいかもしれません。

 

自分以外のものに心の支えを求めるのではなく、自分自身の足で人生を歩めるということに気づいて、行動に移せる自分になることです。

 

メンタルの部分なので一概にこうしたらいいと断定はできませんが、一番手っ取り早いのは今いる場所から引っ越すことです。

環境を変えることは、今までの自分の慣れ親しんだ場所から離れて新しい視点を持つことに大きく貢献してくれるでしょう。

 

経済的自立とは、文字通り自分でお金を稼げることです。

カルトや新興宗教にいるとお金に対してネガティブな教育を受けることが多くなります。

 

お金

 

という考え方から、経済活動に消極的で、結果的に生活が困窮してしまっている家庭が少なくありません(貧乏に美徳を感じていたりする)。

 

実はお金がないということは宗教を卒業できない大きな要因です。

 

お金がないと気持ちが不安になり、その不安を埋めようとまた宗教活動に走ることがあるからです。

不確かな不安が宗教に気持ちを傾けることがあります。

 

お金に対してもっと積極的に肯定しましょう。

お金それ自体に善も悪もありません。

 

しかしお金はギブアンドテイクの象徴でもあります。

社会に価値を提供した対価としてお金が発生するという仕組みを認識するだけで、お金に対する見方が変わります。

 

逆にお金を稼がないということは、社会に貢献すらしていないことです。

社会に価値を提供してお金を稼ぐ、それができていないということは、その人に社会的価値はないことになります(もちろん存在価値までは否定しません)。

 

またお金を稼いでいると精神的な自立も促進されます。

不安要素がなくなることで精神面を見つめなおす余裕が生まれるからです。

 

安定してかせげる事業を始めてみてもいいかもしれませんね?

neutral-life.hatenablog.com

 

宗教を卒業するときは多くの人を傷つける

宗教を卒業するときは多くの人を傷つける

やはり覚悟しておかなければいけないのは、二世信者の場合「宗教をやめる」というと多くの人を傷つける可能性があるということです。

 

宗教という枠組みから抜け出すということは、一時的にその社会のバランスが崩れることになるので、ある意味で必然的に起こることだと言っても過言ではありません。

そういう社会システムです。

 

わたしも多くの人を傷つけて宗教を卒業しました。

今でも家族はわたしを宗教に連れ戻そうとしています。

 

また、それまで付き合いのあった人を突き放さなければいけない状況もありました。

それは宗教を否定しているのではなく、宗教に依存している人たちと距離を置かなければいつまでも自分もその影響から抜け出して自立できないという理由からです。

 

環境はそれぞれなのでわたしとは状況が変わってくることもあるでしょう。

ただ忘れてはいけないのは、その人たちの人生まで否定してはいけないということです。

あくまで自分自身の自立に集中することです。

  • 家族という関係性
  • 宗教という関係性

この2つを混同して考えないようにしましょう。

 

傷がつくのは家族の関係性ではなく宗教の関係性です。

あなたが宗教というものから卒業することを選んだからといって、家族の関係性まで否定する必要ありません。

 

家族がなんと言おうと、あなたにとってその人たちは家族です。

向こうがどう思おうと、家族であることはかわりありません。

あなたは宗教としての関係ではなく、ただ純粋に1対1の家族として接し続ければいいんです。

 

※ちなみにわたしは親に

「宗教はやめるけど、家族としてのカチローは変わらないから」

と言いました。

 

neutral-life.hatenablog.com

 

最後に

ニュートラルライフを生きる勇気

この「僕が宗教をやめた理由」のURLには「neutral-life(ニュートラルライフ)」という文字を入れました。

 

自分の置かれた環境を肯定も否定もせず、ニュートラルな人生を目指したい、と思ったことからこの「neutral-life(ニュートラルライフ)」という単語を選びました。

 

二世信者は生れた時から「何が善で、何が悪か」という教育を受けてきて、それが人生に大きく影響を落としています。

 

ニュートラルライフはそんな善悪から自由になれる人生のことです。

 

自由とはいつでも自分を変えられること

いつでもやめることができて

いつでもはじめられること

 

これがニュートラルライフだと考えています。

 

二世信者であるあなたは、いつでもニュートラルです。

いつでも自分をかえることができます。

 

今までの人生にツライことがあったとしても、それらに笑顔で手をふれるようになったら、今度は自分の人生を自分の意志で歩き始めましょう。

 

 

neutral-life.hatenablog.com