僕が宗教をやめた理由

【実録】30年間信仰していた新興宗教をやめた男の体験記

宗教をやめた頃にあった身体の異変

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このブログを読んでいる方の中には「宗教をやめたい」と考えている方も多いでしょう。

 

過去にブログで「宗教をやめるとどんなことが起こるか」を記事にしたことがありました。↓

「宗教やめたい!」二世信者がやめる前に知っておくべきこと - 僕が宗教をやめた理由

 

そこでは割合広く適用される内容を書きましたが、今回はわたし個人の体験をベースに可能性として起こりうる体調の変化について短いですが触れていこうと思います。



 

まず「宗教をやめた」と自覚しはじめたころ、わたしは電車に3駅も乗っていること難しくなりました。

駅を降りては乗り直すという状況が数ヶ月続いたのです。そうやって職場に出勤する日々が続きました。

 

不安な気持ちが強くなってある時はお腹が痛くなって、またある時は強い不安から頭がフラフラするような日もありました。

ただ、座席に座れたときは少し落ち着きそのまま電車に乗り続けられることもありました。

 

 

なぜこのような話をあえてするのかというと、特にわたしのような宗教の中で育った二世信者の皆さんは、宗教をやめたあとにこのような体調の変化をある程度覚悟しておいてもらいたいからです。

 

今までの日常を捨てるということは大きな不安を伴います。

精神的に疲弊すると体調を崩すしやすくなり、

「宗教をやめた罰ではないだろうか?」

「やっぱりあの宗教は正しかったのかもしれない」

と連想しだすことも珍しくありません。

すると「やっぱり戻ろうかな…」と思い出す可能性があります。

 

信者の中には

「やめてみてから自分の宗教が正しいことに気づいた」

と言って再度宗教に戻ってきたという人も一定数います(二世だったらそういう人見たことあるかもしれませんね?)。

 

わたしは宗教の中にいたころ、そういう人たちの言うことを鵜呑みにして

「やっぱり自分の宗教は正しいんだ!」

と思っていました。

 

しかし、自分が当事者になってみて気づいたのは、社会に出てみて何かしらの不都合から戻ってきた可能性も捨てきれないということです。

 

実際、わたし自身もそうやって電車に乗るのが辛くなった時期に

「もしかしたら…」

と思ったこともありました。

 

けど、最初は3駅しか我慢できなかったのを4駅に増やしてみて、そこから5駅、6駅・・・という具合に克服していった結果、今ではそれほど不安な気持ちはわきません。

 

その不安は一時的なもので、時間が経てば腹痛も不安もなくなることがわかりました。

 

今でも人が密集する場所(満員電車の中とか)にいると自分の意識とは関係なく心臓がバクバクすることがありますが、それも頻度は減ってきたし、起きても一時的なものだと割り切れるようになっています。

 

宗教をやめてからしばらく起きるそういう精神的なところからくる体調の変化、そういう可能性もあるということを知っていただきたいと思い、この記事を書きました。

 

 

そういう不安な時期がありましたが、そういった時期を含めて今では宗教をやめて良かったと思っています。

 

一種の成長痛なのかもしれませんね?

 

少しずつ人生が楽しくなっていく分、ブログの更新もしなくなっているのは愛嬌。