宗教は人間の歴史をつくる上で大きな役割を持っていました。しかし、同時に多くの宗教が人を惑わしてきました。
ほとんどの宗教が“カタチのない崇高な精神”から出発します。
- 釈迦
- イエス・キリスト
- モーゼ
- アブラハム
- 大地・自然
- シャーマニズム
しかし、どこかのタイミングで、人はそのカタチのない精神を、目に見えるカタチに変換しようとしてきました。
- 教典
- 教祖
- 組織
なぜ人は物事にカタチを与えるのでしょうか?それは操作したり動かしたり整理したりするためです。人が持っている理性の重要な能力で、そのおかげで文明が発展してきました。
ところが宗教は、本来固定されないはずの精神にまでカタチを与えようとしたのです。そしてカタチのある精神を求めて多くの人が集まり、組織が形成されます。
ただ、忘れてはいけないのは「カタチのあるものはいずれ壊れる」ということです。ほとんどの宗教組織はそれを受け入れることができません。しかし、気づけば組織は分裂を起こし、分派や教派に分かれて、誰が一番正しいかで論争を始めます。
わたしが30年間いた新興宗教も、結局はその内の1つにすぎませんでした。そして、その宗教ですら教派が分かれていくのです。
宗教は精神から始まり、組織になってから衰退して崩壊します。自然なプロセスです。
これに気づいた時に、「宗教の中にいる理由ねえな」って思い、宗教やめました。