僕が宗教をやめた理由

【実録】30年間信仰していた新興宗教をやめた男の体験記

「宗教の二世信者問題」とは何なのか?元二世信者の視点から解説してみる

二世問題とは?元宗教二世が解説!

は親がある宗教の(熱心な)信者だった人間です。

私のように親がある宗教の信者でその中で生まれた、または育った人のことを

二世信者

と言います(大きな宗教なら二世信者の子に生まれた三世信者もいます)。

 

さて、もしあなたがこの「二世信者」という単語にあまり親しみがないのなら、そこにどんな問題が起こっているか、すぐにイメージはしづらいでしょう。

 

ここでは(私のように)この二世信者として生まれてきた人たちが、どのような境遇の中にいるのかを解説していきたいと思います。

 

望まない信仰を要求される二世信者が存在する理由

望まない信仰を要求される二世

二世信者の抱える中心的な問題とは、

宗教の熱心な信者である親・親族から

望まない信仰を要求されること

と言えます。 

優しく「要求」と書きましたが、カルト色の強い宗教の中には信仰を「強要」する親も少なくありません。

 

想像してみてください。

あなたは生まれたときからある新興宗教を信じる家庭に育ちました。しかし、自分にこの宗教は向かない、信仰心がないと気づいたとします。

するとあなたは「私は信仰をやめる」と親や家族に伝えるでしょう。

あなたの親は何と言うと思いますか?

 

ある二世信者はこう言われたそうです。

 

 

 

 

「あなたを殺して、
私も死ぬ!!」

 

あなたは実の親にこんなことを言われたらどうしますか?

 

他にも

  • 親から殴る蹴るの暴行を受けて全治3ヶ月のケガをした
  • 鼓膜が破れるほど殴られた
  • 「やめないで!」と泣きつかれた
  • 「裏切り者、出ていけ!」と家を追い出された
  • 家族全員からシカトされる。その場にいないことにされた

といった経験をした二世信者もいるのです。

他の信者数名を呼んで、やめないように集団で説得してくることもあります。

 

どうしてこのようなことが起こるのでしょうか?

二世信者の問題には、

  1. 家族での信仰」を推奨する宗教の教義
  2. 信者である親の強いエゴ

という2つの大きな要因が、ほどきようがないくらい複雑にからみ合っているからです。

 

家族で信仰することを推奨する宗教と崩壊していく信者家庭

家族信仰を推奨する宗教

「なんだ、家庭の話ならそんな大きな問題じゃない」と思った方もいるでしょう。

実際に「家庭の問題だから」という理由から、二世問題は注目されにくい性質があります。

 

しかし、その家庭の問題が起きた背景を探ってみると、実は宗教の教義がからむもっと複雑な現実があります。

 

「家族そろって信仰しなさい」と説く新興宗教

多くの新興宗教がその教義の中に「家族信仰」という内容を含ませています。

  • 家族みんなで宗教活動をすることで極楽浄土にいける
  • 一人でも宗教をやめると家族・親族まで一緒に地獄に落ちる
  • 親戚も勧誘することで天国に入れる
  • 二世信者は清いから道を外してはいけない
  • 子供をしっかり信仰させるのが親の役目だ

このようなことが常々言われています。
すると熱心に信仰している親は、この教義をそのまま真に受けるのです。


当然、子である二世信者をやめさせるわけにはいきません。

親にとって「我が子に宗教をやめさせないこと」は重要課題になるのです(だって信じている教義がそうなっているんだから)。


わたし自身、宗教の“中”にいた人間ですから、親(一世)たちが集まって、

「どうやったら子供を宗教の中に残せるか」
「どのように信仰心を持たせられるか」

ということについて頭を悩ませている場面を数えきれないほど見てきました。

 

ゴールは我が子を宗教の教義に当てはめることで、その時点で一人の人間として人生を選ぶ権利など皆無なのです。

 

教団が二世信者たちに信仰するよう関与することも多い

教団全体で二世信者を残すため、

  • 二世信者向けセミナー・イベント
  • 家庭で取り組む儀式の推奨
  • 二世同士の交流・長期合宿やキャンプ

といった戦略や施策を取るケースも少なくありません。
宗教をやめるという選択肢は何が何でも与えたくないのです。

※ちなみに、先に話した「あなたを殺して私も死ぬ」という信者が現れたのも、ある教団の講演会が発端です。
一人の親が二世信者を引き留めた成功事例として「『あなたを殺して私も死ぬ』と言って考えを改めさせた」と講演したことから、多くの信者が真似したという経緯があります。

 

 

このような環境下で育った二世信者は親の意向に従うこともありますが、大なり小なり抵抗することになります。

すると家庭内に不和が生じて、関係性がギクシャクするようになるのです。

 

家庭の問題でありながら、同時に教団の組織的な関与があるのも二世問題の難しいところです。

(教団としては、家族丸ごと信仰してもらったほうが都合が良いという側面があります。家族の絆が強ければ、それだけ信者が残りやすいからです)

 

家族よりも宗教を優先する信者のエゴイズム

仮面の下には激しい劣等感を隠している

「ということは悪いのは宗教か」と結論付けるのは早いです。

冷静な目で見れば、親が子供の人生をしばりつける宗教の教義なんて受け入れることはないはずです。しかし現実としてそれが起こっている。

 

ひとことに信者と言ってもいろんな人がいるので一概には言えませんが、そこには信者である親個人の課題があるのです。

 

「そうだ。聖なる宗教を信仰して特別な人間だと思われよう!」

例えば、信者の中には強い劣等感を抱いている人が少なくありません。

熱心な信者ほど

「わたしなんて…」

と言う言葉を使いながら自分を卑下するんです。

その代わり信仰している宗教の素晴らしさを語るときは言葉に力を込めます(自分の話は避けながら…)。

 

その背景には、

「私は価値のある人間じゃない」
「けど、特別でありたい!」
「そうだ!自分以外の特別な存在を前面に出して残念な自分を隠そう!」

という心理が働いています。

 

つまり手早く優越感を手に入れる手段として神の名を借りられるカルト・新興宗教を信仰するという方法を取るのです。

道端に落ちていた印籠(いんろう)を拾っただけなのに、自分には水戸黄門と同様の権利があると考えるようなものです。

 

「私は特別なんだから息子娘も特別でなきゃいけない」

さあ、そんな信者が子供に対してどのような教育をするでしょうか。

自分が特別な存在なら、我が子も特別でなければ優位な立場は維持できません。

 

だからこそ子供を束縛してでも宗教に残そうとします。

そして子供には、

  • あなたは神の子なんだよ
  • 一般の人とは格が違う
  • 宗教の中に生まれたことで人より優れているんだ

と自身の歪んだ優越感を反映させようとするのです。

 

子供が「宗教を辞める」と言ったなら、親に取ってそれは大変な危機です。

「ウチの宗教怪しくない?」なんて言われた日には…。(人より特別だという)自分の立場が揺らぐのです。

 

彼らは恐れているんです。
自分の劣等感と向き合うことに…。

 

人より特別でありたいと願った親がいて、

人とは違う人生に戸惑う二世信者がいるんです。

 

 

 

ここまでお話しして、二世信者問題が起こる背景がなんとなく見えてきたかと思います。

それは、

  • 信者の数を確保したい教団
  • 自身の優越感を維持したい信者

この両者の利害が一致した副産物として生じたのが二世信者問題ということです。

 

もちろん、宗教のすべてを否定するつもりはありません。

中には「自分の信仰は自分で選ばせる」という親もいるでしょう。

ただ、残念ながらそんな親は多くありません。

 

信者の利己的な欲望

教団の思惑

が二世問題を引き起こしている現実があることは事実です。

まだ公にあまり出ていないだけで、ある意味これは人権問題ともいえるでしょう。

 

二世問題が現状起こっている宗教なら、このような歪んだ両者の利害が影響していることは大いに考えられます。

 

二世信者たちの望まない信仰生活はこんな感じ

さあわたしたちの言う通りこの線路を歩けばいいんだ。

あなたが二世信者の存在を初めて、もしくはそれに近い感覚でこの記事を読んでいるのであっても、なんら不思議なことではありません。

たとえあなたの友人の中に二世信者がいたとしても、その人は「自分は二世信者だ」と明かさないことが多いからです。

  • 自分の宗教を恥ずかしいと思っている
  • 「怪しい宗教だ」と変な顔で見られたくない
  • 友達に嫌われたくない

理由は様々でしょう。

 

それでは二世信者たちはどのような環境で育ってきたのでしょうか?

ここではいくつかの例を挙げてみます。

 

親が宗教活動ばかりして自分のことを後回しにする

今日も親は家にいない

人は何を「最善の価値」と捉えるかで、日々のライフスタイルや行動、態度が変化するものです。

そして、多くの新興宗教の信者にとって最善の価値とは、

  • 集会や礼拝に参加する
  • お布施(献金)を納める
  • 新しい信者を獲得する
  • 宗教主催のイベントに参加する
  • 宗教独自の儀式を続ける

といった宗教活動を続けることです。宗教活動の前では子供(二世信者)のことは後回しにされます。

 

例えば、親子参加型の学校行事や授業参観に来ないことは多いです。

周りの友達は親と一緒に楽しく行事に取り組んでいるのに、自分は代わりに先生が来るか一人で何かをしています。

 

また、宗教はある決まった時期(宗教行事や選挙など)に活動が忙しくなることがあり、その時は親が家を空けることも多くなります。

 

親が家を空ける。

子は腹を空かす。

二世信者あるあるです。

 

とにかく貧乏。お金がなくて生活が苦しい

宗教にお金を使って家にはお金がない

お布施、献金、財務など、宗教ごとに言い方は異なりますが、信者は教団にお金を納めています

 

100円、200円くらいなら問題はないでしょう。

しかし実際は何十万、何百万円の献金をしている信者も多くいます。

表向きは自主的なお金ですが、中にいると

献金しないといけない雰囲気

というものがあるのが現実です。

  • 毎週の集会で定期的に支払う献金
  • 毎月の収入の内いくらかを支払う献金
  • 宗教内の行事などに支払う献金、etc..

とにかくいろんな種類の献金があります。

 

カルト色が強い宗教なら、

「借金は財産だ」
「自己破産おめでとう!」
「信仰ゆえの生活保護なら許される!」
「お金は悪だ。たがらすべて捧げなさい」

という教団幹部もいます(やべぇっしょ?苦笑)。

 

結果的に信者の家庭にはお金がない貧乏状態になります。

そして、二世信者はモロにそんな貧乏な環境に影響を受けるのです。

給食費が払えない」「服が買えない」「食事が満足に食べられない」「電気・ガスは止められる」「高校は公立か中卒」

お金がないことによる不自由な生活を強いられます。

 

お腹を空かせている中、

「今度の宗教行事のために何がなんでも◯万円お布施しなきゃ!」

「あなたも二十歳を過ぎたらカードローンでお金借りて献金しなさい!」

と張り切っている親を見る二世信者の寂しさよ・・・。

 

自分が二世信者だということを友人に言えない

嫌われるのが怖いから、自分の中だけで悩んでいる

世間では「カルト宗教」は軽蔑の目で見られています。

二世信者たちは、自分の宗教がそんな冷たい目で見られていることを知っているのです。

だから友人や職場の人たちには自分がその宗教の中で育ったということを知られたくありません(本人たちが発信しない、したくないこともあり、二世問題が社会でそれほど目立たない理由の一つとなっています)。

 

誰にも言えない悩みを一人で抱え込み、

などを精神的な病にかかる二世信者も少なくありません。

 

ただ近年ではTwitterのようなSNSで、違う宗教の二世信者同士が交流する流れができつつあります。

 

私自身、このブログやTwitterを始めるまで自分の悩みは理解されないものだと思っていました。

けど、同じような境遇の二世信者が想像以上に多いことに気付きました。

 

宗教によって肯定された「聖なる暴力」を受ける

神から許された聖なる暴力

冒頭でも触れましたが、それでもこれについて書くかどうかは正直迷いました。

このブログの読者には

  • 中学生・高校生の二世信者
  • 過去の心の傷を引きずっている元二世信者

も少なくないからです。気分を悪くする人もいるかと思います。

けど、今回の記事は宗教について興味を持った一般の方を対象に書いているので、あえて触れておきます。

 

 

二世信者の中には親から

  • 身体的な暴力
  • 精神的な暴力

を受けた経験のある方が一定数います。その理由は、宗教の教義に反したからです。

「3歳のときに宗教の集会中に声を出して泣いたから部屋から連れていかれて殴られた
「宗教をやめるというと父親に気絶するまで殴られた。家族は止めなかった」
「小学校のころ教典(※本)を誤って踏んでしまったからボコボコにされた
「何か気に食わないことがあるとムチを持ってきて叩かれる

詰まるところもう虐待です。

 

けど、世間一般にも「虐待」はありますよね?

カルト宗教は何が違うのかというと、信仰を理由に虐待が肯定されるということです。

神や教祖の願いということにしておけば、それは「聖なる行い(暴力」として肯定されることがあります。

 

【補足】「罪がゆるされる」という言葉で罪の意識を植え込むカルト

一部には信者に「子供が教えに反したらムチで叩きなさい」とあからさまに説くカルト宗教もあります。また、直接そうは言わなくても、教典の中に「殴ってでも信仰させることが愛」と書いている宗教もあります。

 

実はそこにはカルトが信者に「罪の意識」を植え付ける狙いがあるケースも考えられます。

 

人は自分が過ちを犯したとき、それを認めることがなかなかできません。「それならその過ちを良いことにしよう」という考えにカルトは助力するのです。

 

意外に思うかも知れませんが、信者は一度自身の過ちを肯定するほうに持っていくと、同じ過ちを繰り返します

潜在的に罪の意識が払拭されたわけではなく、それを肯定し続ける必要があるからです。

 

親は我が子に手を上げたことに傷つき、「わたしは間違っていない!わたしは間違っていない!」と己に言い聞かすために、聖なる暴力を繰り返すんです。

 

正しいから信仰しているのではなく、引き返せなくなったから自分を言い聞かせながら信仰している信者がいかに多いことか…。

 

悩める二世信者たちの選択

どのような生き方を選ぶか二世信者によって違う

そのような環境下で二世信者はそれぞれどう対応するかが分かれます。

 

代表的なのは、

  1. 親と一緒に宗教活動にはげむ
  2. 宗教と親に反抗してやめる
  3. 内心では良く思っていなくても一応言うことは聞く

といった3つのパターンです。

 

1.親と一緒に宗教活動にはげむ

親が喜ぶなら親が望む人生を生きよう

親とギクシャクせずに済む方法として、一緒に宗教活動にはげむ道を選ぶ二世信者は多いです。

 

子供の頃から「この宗教は正しいんだ」と教えられて育って、それをそのまま受け入れたケースです。

 

ただよくよく観察すると、最初は自分のほうをあまり向かない親に対する葛藤から始まっていることも少なくありません。

 

二世信者は物心がつく早い段階で、親が自分より宗教を優先していることに寂しさを覚え、

「どうすれば親の注目を自分に向けられるだろうか?」

と考えます。

 

そこで親がやっていること、つまり宗教活動(経典を読む、祈る、集会に参加する)をしてみると、喜んで褒めてくれる。

「なるほどこうやって自分に関心を向けるのか」

と学習してからは宗教活動に参加するようになります。

 

2.宗教と親に反抗してやめる

これからは一人で生きていく

二世信者も年齢を重ねると、

  • 学校の友達
  • 部活の先輩後輩

といった家族以外の関係社会が形成されるようになります。

 

特に思春期を境に、二世信者は自我が形成されて、自分の行動を制限してくる

  • 宗教

に対して葛藤する場面が多くなってきます。

同時に自分の宗教に対して疑問を覚えることも多くなるのです。

 

今はネットも発達して、多くの情報を取得できるようになりました。

すると漠然としていた疑問に対しての答えをネット上で発見して、宗教と距離を取ろうとします。

親としてはそれが許せないですから、どうにかして宗教に連れ戻そうとします。

 

二世信者は自分の自由を守るために親や宗教に反抗することが多くなり、いずれその宗教をやめる選択をします。

※このようなことから、ネットの情報を見ないように指示する宗教も出てきました。

 

3.内心では良く思っていなくても宗教活動には参加する

本当は行きたくないけど、行かなきゃいけない

2.のように反抗する二世もいれば、

  • 親のほうが自分より立場が上で言い返せない
  • 経済的に自立できない(親の援助が必要)
  • 他の信者との人間関係に気を遣う

といった理由から反抗できず、宗教の中でそのまま生活している二世信者もいます。一種の諦めです。

 

私のいた宗教にもこのような二世は一定数いたのですが、どこか距離感はあるものの「礼儀正しい人」が多かった印象があります。

 

恐らくですが、本質は人間関係をとても大切にする人たちなんだと思います。

それが裏目に出て、

  • 家族関係を崩したくない
  • 人間関係に傷を付けたくない
  • 他人に迷惑をかけたくない

という気持ちから行動に移せないのではないでしょうか。

 

最後に~この記事を書こうと思った理由~

この記事を書こうと思った理由

このブログ自体はほとんど二世信者向けに書いてきました。

しかしある日、テレビで二世信者に関する特集が放送された時、急激にアクセスがこのブログに集中するようになったんです。

おそらく訪問してくださった方々は、

「テレビでやってたからちょっと調べてみよう」

と、スマホで検索してこのブログにたどり着いたんだと思います。

 

その時、

このブログは二世信者に向けて書くのはもちろんだけど、もっと社会に「苦しんでいる二世信者がいる」ということを発信する役割もあるんだな、と思ったんです。

だからこそ、今回はより一般向けに記事を書きました。

 

私自身には特別「二世問題を解決しよう!」といった強い使命感のようなものはありません。 

ただ、実際にTwitter上では苦しんでいる二世信者と交流することも多いので、そういう人たちに光が当たるきっかけになれば良いなとは思っています。

かすかな光を当てる

 

二世信者たちは「孤独な選択」をして宗教をやめていきます。

家族は理解してくれないし、
なんだったら反対してくるし、
裏切り者として見てくることもあるのです。

たった一人、ゼロから始めることはとても怖いことです。

 

「親や家族を裏切った」
という罪悪感から、その心に深い闇を抱えながら生活している二世もいるでしょう。

 

今日も裏切り者として生きています。

自分自身を裏切らないために。

 

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