インターネットの発展によって、今では誰もが“国境”という壁を超えられるようになり、日本国内に留まらず世界の人との交流や情報交換も容易になりました。
さらにスマートフォンやタブレットのような“持ち運べるデバイス”の登場により、文字通り「どこでも」ネットにアクセスできるようになっています。
そんな中、いくつかのカルト宗教はインターネットの存在に脅威を感じているようです。
実際にわたしがいた宗教でも、
「インターネットを見ると信仰心が奪われる」
「悪魔が潜んでいる」
と言って、信者がネットをあまり利用しないよう警告していました。
今回は、そんなカルト宗教とインターネットの関係について少し触れていきたいと思います。
カルト宗教がインターネットを嫌がる理由
カルト宗教は自分たちの教義が「絶対的に正しい」と信じ込ませて信者に信仰を要求するケースがほとんどです。
そして、インターネットがあまり普及していない時代はそれがまかり通りました。
もちろんそれまでも、
- 週刊誌
- テレビ
- ラジオ
という「外部からの情報」が無かったわけではありません。
しかし、信者はまずもって週刊誌を買うことはしませんし、テレビやラジオであっても「マスメディアは悪」ということにしておけば、特に見向きもしませんでした。
マスメディア・週刊誌よりも無料で大量の情報が手に入るネット
ところがインターネットはどうでしょう。
週刊誌のようにお金を払わなくても情報を得ることができます。
しかもネットはテレビやラジオよりも多くの情報を入手することが可能です。
ここで大切なのが情報の発信源が複数あり、比較が可能になったということです。
インターネットの普及で「情報の隔離」が難しくなった
それまでは、
「あの週刊誌は宗教嫌いだ」
「あの新聞は嘘ばかりだ」
「あのメディアはヤラセだ」
など「あの」という特定する表現で、情報を自分たちの思考から隔離することができました。
それが今では良くも悪くも不特定多数の
- 体験談
- 証言
- 動画・画像・音声
などがインターネットにあふれるようになったのです。
一つの証言より、複数の証拠のほうが信ぴょう性があるに違いありません。
わたしのいた宗教では「この世に天国ができれば嘘がつけなくなる」と言っていましたが、そこにはある程度同意しましょう。
その言葉を発したはずの宗教が、「嘘がつけなくなる世界」では消えていくのです。
皮肉なものですね?
インターネットは情報を獲得する主導権が自分にある
インターネットは自分が望めば望む情報を得ることができるのも大きいです。
情報獲得の主導権が自分にあります。
それまでのテレビやラジオは、自分の宗教に関する情報をたまたま放映していたら見れますが、それは受け身であって、タイミングが合わなければほとんど宗教の話題を見ることは少ないでしょう。
「ワイドショーは悪魔のものだから見るな」と言われればそれまでです。
週刊誌も同様、特集が組まれない限り内容を読むことはありません。
これでは「教団の言っていることは本当に正しいのか?」という疑問に対して答えがでるまでに時間がかかります。
それではネットはどうでしょう。
自分の知りたいことを検索エンジンから探せばいくらでも情報が手に入ります。
しかも、情報を探す主導権は自分にあります。
テレビ・雑誌のように受け身ではありません。
つまり「ウチの宗教は正しいのか?」という疑問を抱いた時に、信者個人の判断材料が増えたことになります。
情報を遮断して信仰させてきた宗教の崩壊
多くのカルト宗教には、「外部からの情報を遮断する」という段階があります。
- セミナー中は携帯・スマホを没収する
- 山の中の施設にこもる
- 比較的に短いスパンで集会に参加させる
- 親や身内に連絡を取らせない
- 同じ言葉をくり返し唱えるようにする
これらは他の情報を遮断させるのに有効な手段です。
このように情報が少ない状態にすることで判断材料が減り、教義がより意識に浸透しやすくなります。
しかし、一度はそうやって信じ込ませても、後から余計な情報が入るといつでも心変わりするでしょう。
インターネットが普及した今は、さらにそれが容易になっています。
結果的に、これまで情報を遮断しながら不誠実に信者を増やしてきた宗教は、今後より存続が難しくなるに違いありません。
メディアのような外部からではなく、教団の内側から崩壊が始まります。
インターネットは真の民主主義の価値を追求する場所
今まではテレビや週刊誌のようなメディアは政治や芸能人を叩く存在でした。
テレビしかなかった時代は「それが多数派の考えだ」と無条件に受け入れていた人も多いはずです。
しかし、今はどうでしょう。
Yahoo!ニュースなんかを見ると、コメント欄では、
「報道に悪意がある」
「内容を曲解して書いている」
など、テレビや週刊誌の報道の在り方に意見する内容も増えてきました。
今まで叩いていた側が“叩かれる側”になりつつあるのです。
ネットユーザーは与えられた情報を鵜呑みにしません。
そういう意味ではインターネットは真の民主主義の価値を追求できる場とも言えます。
それは情報が一方通行に与えられるものではなく、個人が簡単に情報の検索と発信ができるようになったからこそ、自分で考えやすくなったのも大きいでしょう。
宗教の価値が見直される時代へ突入
この現象は宗教にも大きく影響を与えます。
宗教も実は、それまでのメディアと同じように、教義という「情報」を一方通行に与える存在でした。
信者はそれを「真実」として受け入れてきたのです。
しかし、インターネットのように情報を自分から取りにいける場ができてからは、その情報の価値が見直されるようになるに違いありません。
数ある情報を使って、
- 比較
- 検討
- 再評価
されるでしょう。
外のメディアではなく、今まで信仰を持っていたはずの内側にいる信者からです。
たとえどんなに長く続いた宗教であっても、権威がある宗教であっても、それはもろくも崩れ去ることが考えられます。
世界が宗教を考え直す時代が来ている。
— カチロー(元宗教二世)しばらくbot (@neutral_kachiro) 2018年9月13日
ドイツでも聖職者の児童性的虐待が発覚、被害者3600人超(AFP=時事) - Y!ニュース https://t.co/zq9N58ylgu
二世信者はTwitter(ツイッター)を始めよう!
インターネットは二世信者にとっても「今までとは違う選択」をするための助けになります。
二世信者の多くは、親や教団の教えを一方的に受けながら育ってきました。
「それが正しい」と教えられ、その矛盾点に苦悩した人も多いのではないでしょうか?
ある意味では情報弱者でもあります。
そんな二世にはTwitterを始めることをおすすめします。
宗教の二世は、こういうツイッターを始めて、ほかの宗教の二世と交流してみたらいいと思う。
— カチロー(元宗教二世)しばらくbot (@neutral_kachiro) 2018年9月10日
いろいろ気づくことも多いし、勉強になることもある。#宗教二世
わたし自身TwitterのようなSNSで、今まで交流することのなかった、
- 自分の宗教以外の二世信者
- 他の宗教の信者
と話す機会を多く持つようになりました。
宗教ごとに教義の内容や言い回しの違いはありますが、それらを除けば似たような境遇の二世が多いことに気づくはずです。
自分の宗教や親に対して恨みを抱く人もいれば、宗教それ自体を否定しきれない人もいます。
表向きは信仰しているけど、Twitter上では非信者だと言っている人も少なくありません。
そういう方々のツイートを見るだけでも、多くの勉強になることがあります。
もっと広い視野で物事をとらえることにもなるでしょう。
最後に
一応これも知っておいてほしいので書きますが、インターネットが広がってもやはり宗教は簡単にはなくなりません。
ほとんどの人は過去を振り返れば後悔し、未来を見れば不安になります。
すると、
- 過去の罪を赦してほしい
- 未来の天国を保証してほしい
という強い感情から宗教を求めるようになります。
どうしてもここに宗教の需要があるんです。
たとえ最初は崇高な目的で作られた宗教であっても、その周囲に集まるのは人間の欲求です。
あなたが現役または元信者なら、現実から目をそらすために宗教活動に没頭している信者を見て来たでしょう(二世信者なら親、もしかしたらあなた自身もそうだったかもしれませんね)。
いつの時代もそういう人たちはいたはずです。
もしもそれでもあなたが宗教を卒業したいというのであれば、過去にも未来にもとらわれず、現在に目を向ける必要があります。
それには勇気がいるでしょう。
一種の恐怖心が伴うことも考えられます。それはそれで構いません。
恐れても良いです。
「勇気」とは恐れないことではありません。
たとえ怖くても辛くても「正しい選択をすること」です。
あなたにとっての正しい選択は何か、今一度考えてみましょう。
いや、もうわかっているのでは?