このブログでよく読まれている記事の中に「信者が宗教をやめられない9つの理由」というものがあります。↓
「記事を読みやすく修正しよう」と思って久しぶりに読み返してみたら、ある欠点に気づきました。二世信者向けじゃないということです。
もちろんここに書かれている要素は当てはまるには当てはまるのですが、二世信者の場合はこれに加えてもう一つやめられない大きな理由があります。
それは「やめた後、どうなるのかがわからなくて不安だ」ということです。
井の中の蛙(かわず)大海を知らず、ではありませんが、生まれたときから宗教と一緒に過ごして来たのに、それをやめたら将来どうなるかがわかりません。
「本当は信仰心はないんだけど、やめたあとがどうなるか不安でやめられない…」
そう思っている二世信者は多いのではないでしょうか?
そこで今回はわたし自身、元二世信者としての経験と観察から、
~やめるとどうなるかということと、その対策・対処方法~
について、テーマごとに考察していきます。
全員に当てはまることではないですが、参考にしていただければと思います。
- 現象①:実力不足に絶望する
- 現象②:宗教のすべてを否定して自暴自棄になる
- 現象③:家族との関係がぎくしゃくする
- 現象④:他の信者が連れ戻そうとする、または嫌がらせされる
- 現象⑤:「自分は間違っているのでは?」と不安になる
- 現象⑥:お金がない
- 最後に~やめる前に覚悟と準備をしておく~
現象①:実力不足に絶望する
「宗教をやめたい!」という気持ちが先走って、いざやめてみると社会との実力差についていけず挫折することがあります。
一般社会で生活するには、
- 最低限必要な知識と能力
- 他の人より突出した技術や才能
を求められます。
しかし、二世信者には実力面で一般社会より劣ることがあるんです。
特に恐いのが、宗教の中にいるときは自分の実力不足をあまり自覚できないことです。
宗教組織と言う狭い世界しか見てきませんでした。
わたしたち二世信者が、
- 毎週決まった日の集会
- 宗教活動
- 啓発セミナー
- 教典の朗読
などをしている間に、一般社会の人たちは資格を取ったり専門技術を磨いたりしているんです。
そりゃあ、社会的な実力に差はでますよね?
わたしの経験まで書くと長くなるので控えめにしますが、これといって目立ったスキルがなかったので、宗教をやめてから数年は知識と技術力を蓄えるのにとにかく時間を費やしました。
遅れた分を取り返すためです。
社会に出てみると、
「え?こんなことも知らないの?」
と驚かれることに驚きます。
当然です。
違う世界で生きてきたのですから…。
原因①:宗教は実力や才能を育てる環境を与えてくれない
原因は新宗教の多くが宗教活動を優先することを推奨しているところにあります。
二世信者に対して要求する宗教も少なくありません。
途中から信者になった場合は、それまでに積み上げた技術などがありますが、二世信者は生まれた時から宗教活動を優先する環境です。
するとどうでしょう?
- 才能を育てることに費やすべき時間が与えられない
- 部活動を後回しにさせられる
- 高校や大学への進学をさせない
- 一般企業に就職させてくれない
- 法人職員か、宗教の関わっている内部企業に就職することになる
- その宗教の教育機関で学習する(社会的な実力面で残念な場合がある)
という二世信者が多くなるんです。
宗教活動以外にもお布施や献金にお金を使い過ぎて、進学するお金を稼げないケースなんかもかなり多いはずです。
一番厄介なのは「人類は最終的に信仰者が残って、それ以外は滅びる」と説く終末系の宗教です。
「どうせ最後には人類は滅びるんだから勉強する必要はない」
「宗教生活さえしていればいい」
という考えのため、本気で実力不足になっていきます。
対策①:1つの分野に絞って勉強する
対策としては、幅広くいろんな知識や技術に手を出すよりも、なにか1つの分野を集中的に勉強するほうが早いです。
何かの資格取得を目指すのも良いでしょう。
最初は1つの分野に集中していくと、それと関連した知識もどんどん吸収できるようになってきます。
特に自分の得意な分野を追求すると成長も早いです。
注意してほしいのは、
- 得意なことと
- 好きなこと(趣味)
この2つは必ずしもイコールではないことです。
嫌いでも得意なことはあります。
理想は得意で好きということです。
しかし、実際は「得意なこと」と「好きになこと」は交わらない部分が多いです。
好きになことは欲求ですが、得意なことは才能だからではないかと考えています。
「自分の得意なことってなんだろう?」「何から始めたらいいかわからない」という方は「ずっとやりたかったことをやりなさい。」という本がおススメです。
自分の内面に働きかけながら、人生を見つめなおせるような設計になっている本です。
これからの生き方を考える助けになるでしょう。
宗教をやめると決めているなら、やめる前になにかを始めることで、やめた後のカウンターパンチは軽減されるかと思います。
実力を身につける下地だけでも今から整えましょう。
現象②:宗教のすべてを否定して自暴自棄になる
宗教をやめることばかり考えていたのに、やめたらやめたでやけくそになるケースは少なくありません。
特に宗教の中で「自由を奪われた!」という気持ちが強い二世信者ほど、その反動で宗教をすべて否定しようとします。
「今までやれなったことをやる!」
と鼻息を荒くして無謀なことをしだすとロクなことはありません。
- 過剰な飲酒
- 不健全な色欲
- 麻薬
など、宗教とか関係なく人生にプラスにならないことに染まることも考えられます。
自由になりたくなって宗教をやめたはずなのに、自分の行動を本当の意味で選択できない状況です。
原因②:宗教のすべてを悪と決めつけている
このように自暴自棄になる理由は、
「わたしは宗教に自由をうばわれた!」
「やりたいことをやれなかった」
という感情が強すぎて、宗教のすべてを悪だと決めつけて批判しているからです。
100パーセント悪のものはありません。
もちろん色々我慢してきたのは事実ですが、宗教の中には有益な内容も含まれているはずです。
それでも感情が先立つと否定することに忙しくなります。
批判を続けるという事は、その宗教から影響を受け続けていることを自分で認めているようなものです。
それでは本当の意味で宗教を卒業したことにはなりません。
宗教を卒業するとは、その宗教から影響を受けない自由な状態です。
対策②:有益なもの無益なものをリストにして、有益なものだけ残す
対策としては「その宗教にもこれからの人生に有益なものはある」と認めることです。
そこで有益なものと無益なものをリストに分けてみましょう。
ただ注意してほしいのは、分けるのは良し悪しではないということです。
リストにして分けるのは、評価をしろという意味ではありません。
これからの人生を前向きに進むために、役立つものは残していくのが目的です。
過去ではなく未来を見ることができれば、それは宗教にとらわれない人生です。
わたしの場合は宗教が、
- たばこ
- 麻薬
- 色欲
- 過剰な飲酒
を禁止していました。
これは将来的に見ても有益です。
逆に、
- 他の宗教への排他的態度
- 貧乏礼賛
などは無益だと感じました。
そうやって冷静に判断していくと「良いとこ取り」ができます。
現象③:家族との関係がぎくしゃくする
親が信仰している、もっと言えば家族全員で信仰している二世信者が宗教をやめると、お互いにぎくしゃくする可能性があります。
「自分の信仰は自分で選びなさい」と親が言うケースもなくはありませんが、ほとんどの場合、家族の反対は避けられないでしょう。
やっかいなのは教義によって「身内が宗教をやめたらどうするかの決まり」があることです。
- やめたら家族であっても無視しなさい
- 関係を断ちなさい
- 一人でも欠けたら天国に入れないから連れ戻しなさい
露骨に決まりがある場合と、暗黙の了解が根強くある場合と、その宗教によって違いますが、家族との関係に何かしら影響がでることは覚悟する必要があります。
原因③:家族関係ではなく、信者としての関係が勝っている
「家族と宗教」は、このブログの中心的なテーマの一つでもあります。
二世信者には親や兄弟の間に2種類の関係性があります。
一つは「家族」という関係性です。
- 親と子
- 兄、姉、弟、妹
それぞれに一対一の関係があり、それ以上でも以下でもありません。
二つ目は「信者」という関係性です。
信者同士はお互いを高め合うこともできます。しかしそれは“同じ教義内でのルールに沿っている”という条件の上で成り立つものです。
つまり、その教義に沿わない言動や行動、態度は批判や排斥の対象になります。
ましてや「宗教をやめる」と言った日には裏切り者です。
信者としての関係性は、見方を変えればお互いを監視し合っていることになります。
宗教をやめると批判を受けるのは家族だからではありません。
あなたのことを背信者として見ているからです。
対策③:家族として接する
まだ、あなたが「宗教をやめる」と家族に伝えていないなら、言うべきことを整理しておきましょう。
- これからは信者としてではなく「家族」として生きていくこと
- 自分の人生は自分で選ぶということ
- あなたの考えや信仰を否定したり人生に干渉したりはしません
しかし、なかなか理解してもらえないことも覚悟しておいてください。
少しわたしの話をさせてください。
わたしの家族はとても仲が良いです。
だから自分が「宗教をやめる」と言っても理解してもらえると、ちょっとした期待がありました。
しかし、実際は猛反対。
中には露骨に「裏切り者」に近い表現でわたしに詰め寄った家族もいるほどです。
悲しかったのは、わたしに理解を示してくれたのが、血の繋がらない義理の家族だったことです。
今でも電車の中で泣いたのを思い出します。
あれから時間が経ちました。
まだ、ぎくしゃくはしていますが、宗教以外のことならふつうに話せます。
あなたが宗教をやめるなら、たとえ家族に理解されなくても、自分の信じる道を歩く覚悟が必要です。
泣きながらでも構いません。
自分の信じた道を突き進んでください。
現象④:他の信者が連れ戻そうとする、または嫌がらせされる
今まで仲良くしていた信者が突然態度を変えることもあります。
連れ戻そうとしたり、嫌がらせをしたり…。
実は、これに関してはわたしからアドバイスできることはそれほど多くはないと考えています。
嫌がらせを受けた経験はないからです。
家族を除いてわたしを説得しようとする信者は今のところいません。
理由はわたしが宗教をやめたことは、ごく限られた人にしか伝わっていないからです。
家族の口から他の信者に「カチローが信仰をやめた」というのも考えづらいです。
一種の不名誉ですからね。
ただし「なぜわたしが限られた人にしか伝えていないかの理由」についてはお伝えできます。
カチローが「やめたこと」を伝えていない理由
わたしがやめたことを他の信者に伝えていない理由は、万が一でも宗教に戻る可能性をなくしたかったからです。
宗教をやめる以前に、たまたま心理学のような、人間の行動に関する分野の本を数冊読んでいました。
その数冊で共通して言っていたのが、
人間は習慣や思考を「やめること」はできない。
できるのは「変えること」だ。
というものでした。
そこで賢い(?)カチローは思ったんです。
“口では「やめた」と言っても、体にはこれまでの習慣や思考が根強く残っているに違いない。
きっとやめたばかりはアンバランスで、頭の良い信者に説得されたら抵抗できない。
自分の生き方をしっかり確立するまでは、あまり話しが広がらない状態にしておこう。”
人間それほど意志は強くありません。
あなたがまだ宗教をやめていないなら「やめたカチローは強い意志があったのだろう」と思うかもしれません。
けど、全然そんなことはありません。
むしろ言い返せないほど意志の弱い人間です。だから計算高くやめることができたんです。
やめたばかりは熱いうちの鉄みたいなものです。
鉄は熱いうちに打てと言っても、他の信者に鉄を打たせる機会を与えてはいけません。
あなたの人生なのだから、自分の鉄は自分で打ち続ける必要があります。
宗教をやめたばかりは、何を吸収するかがとても大切になる時期なので、個人的には身を潜めることをおすすめします。
現象⑤:「自分は間違っているのでは?」と不安になる
今まで信じていたものを手放すことは簡単なことではありません。
特に二世信者はその宗教が人生の大半を占めていたはずです。
いざやめてみると「もしかしたらこの選択は間違っていたのではないか…」と不安になることがあります(ほぼ確実)。
すると「やっぱりあの宗教が正しかったのかもしれない…」と思いが募り、良いタイミングで昔付き合いのあった信者から連絡が来ます。
「ちょっとお茶しない?」
という所から始まり、少しずつ元の信仰生活に引き返すようになります。
原因⑤:視野を広げきれていない
今まで宗教の中でしか生活してこなかった二世信者は、かなり視野が限定されています。
宗教に「何が正しくて間違っているか」を定義されていた分、人や物、社会への見方が偏った状態です。
社会での生活に慣れていないからこそ、どうしたら良いかわかりません。
それで不安が募っていきます。すると宗教の中にいた頃のが懐かしく思えて、
「今より宗教の中のほうが幸せだった」
「もしかしたらこの選択は間違っていたのかもしれない」
「あの宗教の言っていることが正しかったのかも」
という考えが湧いてきます。
宗教をやめてからしばらくはこの葛藤を抱くことになるでしょう。
これから宗教をやめる二世信者はこのことを知っておいてください。
結構な期間、悩まされるところです。
対策⑤:視野を広げる〜いろんな人に会う〜
視野が狭いから過去が輝いて見えるなら、視野を広げ続ければ良いだけです。
面白いのが視野を広げ続けると、どこかのタイミングで、
「なんであんなに熱心に信仰していたのかわからない」
という気持ちになります。
わたしの場合はふとそう考えるようになりました。徐々にではなく、結構突然です。
視野を広げる方法は色々あると思いますが、おすすめなのは今まで付き合ったことのないタイプの人と話すことです。
まったく違った価値観を持つ人と接すると、最初は気分が悪いかもしれません。
しかし、
「そういう考え方もあるのか」
「いろんな人がいるんだな」
と思えるようになると、気持ちがどんどんニュートラルになっていきます。
わたしも宗教をやめる前後に、今まで距離を置いていたような人と接する機会を多く持ちました。
- スケベなおっちゃん
- 仏像オタク
- アニメオタク
- 廃墟オタク(ん?オタクが多い?)
- ピアニスト
- カメラマン
- ボディービルダー
- 刑務所生活を経験した人
- 元極道
話してみると、その人たちの人生模様が見えて、世界が広がっていくことを実感できます。
ただし、付き合う人間は選びましょう。
そしてその人たちの人生観に飲まれないように気を付けてください。
宗教でも同じことが言えますが、人間の脳は社会性を大事にする性質があり、集団の意識や性格に同化しようとするからです。
もしも麻薬や犯罪に手を染める人たちと過ごす時間が長いと、人間の脳の構造上、そのような人と性格が同化する可能性があります。
実際にやめてみてから付き合う人間が悪く、犯罪に手を染めるケースはあるので注意してください。
あくまで、世界観を広げる目的で接して、程よい距離感を保つと良いでしょう。
現象⑥:お金がない
宗教の中にいたころはお布施や献金、活動費でお金が貯まらないけど、やめればそんなことから解放されて貯金が増える…と思っているなら甘いです。
ほとんどの宗教では
- お金=悪(物欲)
- お布施するもの
- 自分のために使ったら地獄に落ちる
というネガティブなイメージがあり、お金とどう付き合うかわからないまま生活してきたはずです。
そのため、せっかくお金が入ってきても、
- 貯金する
- 投資する
- ビジネスを展開する
という感覚が育っていないので、使い道がわからず、無駄に浪費することになります。
そのためお金が貯まらない現状に焦りを感じる時期もあるでしょう。
原因⑥:お金が貯まりにくい体質になっている
これは覚えておいてください。
お金が貯まらないのは体質です。
そのような体質を持っている人は、お金と聞くと反射的に
- 悪
- 物欲
- 煩悩
といったネガティブなイメージが思い浮かびます。
お金に対してネガティブな感情を抱いている人はなかなか貯金が増えません。
それなのにお金に対してネガティブなイメージを持たせる宗教がほとんどです。
特に二世信者に至っては宗教生活が長いため「お金が貯まりにくい体質」がしみ込んでいることでしょう。
対策⑥:お金の貯まりにくい体質を改善する
体質は改善することができます。
「お金の貯まりにくい体質」も例外ではありません。
すぐに変えられるというわけでもありませんが、一度見方が変われば後は早いのではないでしょうか。
宗教がお金に対してネガティブなイメージを抱いているのは、
- 「お金の本質」について理解していない
- お布施を集める都合としてネガティブにする必要がある
といった理由があるからです。
後者の方は今回触れないとして、前者の「お金の本質」ということについて考えてみましょう。
宗教には、貧乏=善という風潮があります。
二世信者の中には家が貧乏で服もまともに買ってもらえなくて、友だちに会うのが恥ずかしかったという経験を持っている人もいるでしょう(ちなみにわたしは制服のズボンを買うお金がなく、お尻が破れたズボンをはいていました…)。
しかし、お金は「誰かに何かしらの『価値』を提供した『報酬』」として発生します。
つまり誰かの役に立った証拠がお金です。
お金がないということは人に価値を与えていない、役に立っていないということになります。
貧乏が恥ずかしいのは
「服が着れない」
「あまり食べられない」
ということではありません。
社会に対して価値を与えていないということです。
もう一度お金に対して考え直す時間を持ちましょう。
と、口では言っても簡単ではありません。
実際にそのことを知るには価値を与えてお金に変わる瞬間をじっくり観察する必要があります。
例えば、何か物を販売する仕事をしているなら、
- お客さんの喜んでいる顔
- 「ありがとう」という言葉
を実際に見たり聞いたりすると実感レベルで理解できます。
そうやって体質から改善していき、今度は自分でビジネスを始めるのも良いでしょう。
人に価値を与えることは簡単じゃないことに気づくはずです。
それくらいになってくると体質は大分改善されているのではないでしょうか。
最後に~やめる前に覚悟と準備をしておく~
これから宗教をやめる二世信者は「現状を変えたい」という強い気持ちだけでなく、
- やめた後どうなるんだろう…
- 何か不幸が待ち受けているのではないだろうか…
という気弱い感情の中で葛藤しているのではありませんか?
予測できない未来は確かに怖いものです。
実際にわたしもそうでしたし、今でも怖くなることがあります。
本文中でも言いましたが、わたしは意志が弱い人間です(これを読んでいるあなたよりも弱いかも知れません)。
重要なのは強い意志ではありません。
理にかなった準備です。
そしてちょっとした覚悟がいります。
あなたに必要な覚悟は「今、現在を生きること」です。
昨日のあなたも、
明日のあなたも、
今日のあなたに追いつくことはできません。
過去も未来も現在より後に来るものだからです。
未来に対しての不安はあるかも知れませんが、しっかり準備すればその不安も軽減することができるでしょう。
あなたは「明日を変える今日」を生きているのですから。