僕が宗教をやめた理由

【実録】30年間信仰していた新興宗教をやめた男の体験記

宗教法人に必要なもの~行政が管理する入退会システム~

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教の自由と言いつつも、その実態は家族や他の信者たちの目や意見を気にしなければ、宗教を辞めることができないケースがほとんどです。

 

しかし、さらに難しいのは信仰するかしないかを「正式に証明するための手続き」がないこと、そう思います。

 

もちろん日本は、12月にはクリスマス(キリスト教)を祝い、正月には初詣(神道)、お葬式は仏式(仏教)と、あらゆる宗教が混在した文化ではあります。

 

ここで言いたいのはそんな文化を否定することではなく、宗教法人として運営する宗教には、もっと行政的な手続きが必要なのではないかということです。

 

それが行政管轄の(宗教法人への)入会・退会管理システム(※以降「入退会システム」)です。

行政が会員数を管理することで、

  1. 宗教法人ごとの正確な信者の人数が把握できる
  2. 文字通り「自分の意志」で宗教を自由に選択できる
  3. 未然に宗教の暴走を防ぐことができる

と言ったメリットが期待できます。

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カルトとネットワークビジネスって似てない?

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だいぶ前の話ですが、以前一緒に仕事をしてすごく仲良くなった女の子がいました。わたしがその仕事を辞めてからだいぶ経ったある日、その女の子から連絡が入りました。

 

「久しぶりに昔ばなしでもして盛り上がりませんか?」

 

というわけで積もる話もあるし、楽しみにしながら待ち合わせ場所に行きました。(確か池袋)

 

会ってみると、

「あの頃はこうだった、どうだった」

と話が盛り上がりました。

 

しかし、ところどころ相づちを打ちながらも、こちらの話に集中していないと感じる瞬間があったんです。

 

(この雰囲気知ってる)そう思いました。

 

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【動画】オウム真理教の元ナンバー2だった上祐史浩氏が語る宗教

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オウム真理教の元ナンバー2だった上祐史浩氏が、オウム真理教を脱会したあとのことをHIP-HOPアーティスト主流のレーベル「9sariグループ」の運営するカフェで話している動画です。

動画自体は20分くらいのもので、上祐史浩氏が話しているのは後半部分になります。実質話しているのは数分ですが「なるほどこの人がナンバー2だったからオウム真理教はあれほど狂信的な信者を集めることができたのか」と思うほど頭がいいです。

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“信仰の誇り”という複雑なロジック

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興宗教やカルトと呼ばれる宗教の信者たち(特に熱心な信者)は「自分の信仰に誇りを持っている」という言葉をよく使います。

 

二世信者がその宗教を離れていく現状を見て「二世信者が信仰に誇りを持てるようにしてあげたい」といって、対外活動に力を入れる信者もいます。

 

この“信仰への誇り”という言葉を聞いてどのような印象を受けますか?

 

信仰に誇りは必要なのでしょうか?

もし必要なら、どうして必要なのでしょうか?

誇りを持つとどうなるのでしょうか?

 

今回は信仰への誇りについて考察していきます。(少し複雑な内容になると思います…)

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二世信者同士“出会いの場”

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世信者同士の出会いはいくつかのケースに分けられます。

 

例えば、

  • 教団が主催する二世向けセミナーがきっかけで交流を深める
  • 教団の定例集会・礼拝で出会う
  • 信者である親が他の信者の家に行った時にそこの子どもと交流を持つ
  • 親が宗教施設に子どもを預けた時に同じような子と出会う
  • 相手が年上の場合は面倒を見てもらう

などが主です。

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プラスとマイナスが共存するバランスの取れた世界

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教の中にいた時は何が「善」で何が「悪」かをよく考えていました。

 

もちろんここでいう善悪のモノサシは自分が所属していた新興宗教の教理だったのですが…。自分の教理の中にあるものは善で、そこから外れるものは悪、その二択の中で育って、まるで全知にでもなったかのように錯覚していたのかもしれません。

 

その善悪のモノサシで測ればわたしは善人でした、たぶん。

 

けど宗教をやめてから気づいたのは、何が善で何が悪かは結構状況や場面、文化や時代背景でも変わってくるということです。

 

宗教をやめてからの自分はあまり頼れる人はいなく絶賛孤独奮闘中で、まるで人生のドン底のようです。もし善悪が状況によって変わる事に気付かなかったら、ちょうど心が弱っている分、宗教になびいていたかも知れません。

 

けど、世界はプラスだけじゃない。マイナスがあって初めてバランスを保てているんだと思うと、今のこの状況も必要な時期なのかな?って思えるようになりました。

 

左に依れば右に戻ろうとするし、右に依れば左に戻ろうとする。成功もあれば失敗もある。楽しい時もあれば悲しい時もある。すべてがうまくいく時もあれば、何もかもがうまくいかずやきもきする事もある。

 

プラスの時もあればマイナスの時もある。

 

そうやってバランスを取ろうとする世界に生きていると思うと、なんか気がラクになります。今日のこの寂しい日が、どうしてでしょう?少し、好きになれます。

 

ジムノペディ第1番が心地よい。

 

 

宗教が主流派と分派に分かれる理由

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ぼすべてと言っていいほど宗教は分派や幹部の対立という現象が起きます。

 

仏教も釈迦(シャカ)を開祖として、現代では無数の宗派がありますよね?

 

キリスト教もイエス・キリスト一人から始まったにも関わらず、カソリックとプロテスタントに分かれ、仏教同様無数の宗派に分かれています。

 

イスラム教も一神教を掲げているにも関わらず、歴史の中でスンナ派とシーア派に分かれました。イスラム教は今でも多様な実態を持つようになっていて、中にはイスラム国を名乗ってテロ活動を行う組織がでている状態です。

 

実はこのような宗教の分裂は比較的新しい新興宗教やカルト教団でも起きています。

なぜこのような分派や分裂が起こるのでしょうか?

 

今回は「宗教が主流派と分派に分かれる理由」について考察してみました。

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“宗教”という条件つきの家族関係

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きどき悲しくなるんです。わたしが宗教をやめる前後のことを思うと…

 

家族とは非常に仲が良く、周囲の人たちはいつもほめてくれたり、感心したり、「うらやましい」と言ってくれる人もいました。

子どもの頃のことを思い出しても、やっぱり普通の家庭よりは兄弟も仲がよかったように思います。

当然、家族としては今でも仲は良いのかもしれません。

 

しかし、宗教をやめた今ではどこまでが家族の関係で、どこまでが宗教の関係だったのかわからなくなってくるんです。

自分自身宗教の中にいた時は何も感じていなかった家族関係が、宗教をやめた途端、

「あれ?ぼくら家族ってこんなだっけ?」

と、思うことが多くなりました。

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あの女子高生は丸刈りにした。

 

丸刈りの女の子に会ったことありますか?

学生だったか、高校生だったか、ハッキリとは覚えていません。

わたしがいた宗教が主催する二世信者向けのセミナーが開催された時の話です。

割合大規模なセミナーで、文字通り日本全国の二世信者たちが集まりました(とはいっても信仰に積極的な二世ばかりですが)。

 

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宗教では幸福になれない?いつかは卒業するべきもの

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心な信者はその多くが宗教を信仰することで幸福を獲得しようとしています。

「信仰していれば病気が治る」
「死んだ後に極楽浄土(天国)に入ることができる」
「真っ先に恩恵を受けることができる」

口では言いませんが内心ではこのように思っています。

 

もちろん誰もが幸せになりたいと思っているでしょう。しかし、宗教が幸福を提供してくれることは本当にあるのでしょうか?

 

わたしの考えでは宗教の先に幸福はありません

 

宗教は自分を成長させるためのプロセスの一部であってゴールではないからです。ある程度したら今いる宗教を卒業することを考える方が賢明ではないでしょうか?

 

もちろん、幸福につながる要素はあるかも知れません。しかし、全体で考えるとやっぱり一部でしかないように思います。

少なくとも宗教だけで幸福が決まることはありません。

 

もっと言えば本当に幸福な人は幸福を求めることもしないのではないでしょうか?

「〇〇だから幸福だ」
「〇〇だから不幸だ」

宗教の中にいても幸福と不幸の論争は解決しませんでした。

 

結局幸福とか不幸とかから自由になった人が本当の幸せものなんじゃないか?と思う今日この頃。

 

猫になりたい。

 

家族がカルト教団に入信した!そんな時の心構え

家族がカルト教団に入信した!そんな時の心構え

「親や兄弟、自分の子どもが評判の悪いカルト教団に入信してしまった」

 

恐らくご家族としては心配になることでしょう。

 

わたしは新興宗教の中で生まれて、30年後にその宗教をやめました。そのためどうやって身内の信仰をやめさせるかということは専門ではありません。

 

しかし、新興宗教の中にいた経験的視点から、

  • どんな心構えが必要か
  • 何をしてはいけないか

というのは何となくわかります。

 

今回はその心構えについてカンタンにまとめました。

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【体験談】宗教か子どもか。自己犠牲ってそういう意味?

高熱の子どもよりも宗教活動

どもの頃保育所で高熱をだしたことがありました。

保育所から母に「高い熱なので今すぐ保育所に来てください!」という電話がかかってきたそうです。

母はその時、教団の活動中でした。

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宗教が狂気に走る日~オウム真理教と日本赤軍の共通点~

宗教がテロをする可能性

九九五年3月。日本中が“あるカルト教団”の狂気に震撼しました。

そうオウム真理教(当時)が起こした「地下鉄サリン事件」です。

  • 死亡者13人
  • 負傷者約6300人

通勤ラッシュで人が多い時間を狙った犯行でした。

 

新興宗教に対して警戒する人は、必ずと言っていいほどこのオウム真理教が起こしたテロ事件が頭をよぎるでしょう。

 

それまでにも日本国内で宗教が起こした事件はありました。しかしその多くは金銭的な詐欺が多く、オウム真理教のように

  • テロ活動
  • 軍事武装
  • 計画的殺害

ということはありませんでした。しかし1つの新興宗教が実際に集団でテロを起こしたのです。

 

今回は本来、人を癒し、救い、希望を持たせるはずの宗教が「狂気に走る日」とはいつなのかについて考えました。

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【体験談】まるで刑務所?新興宗教のセミナーでの経験※小学生編

小学生にとって新興宗教のセミナーはくっそ眠い

とんどのカルト教団では入信したあとでも定期的にセミナーを開催して、信者の参加を推奨しています。

 

セミナーは1日で終わるものもあれば、数日施設に泊まるカタチで実施されるものもあります(中には半年~数年というものも)。

 

今ではそれほどまでではないですが、わたしが子どものころ両親は熱心な信者だったのでよく数日家を空けてセミナーに参加していました。

 

わたしの場合は小学生のころから二世信者だけで集まるセミナーに参加させられていていました。

 

今回はわたしの実体験から新興宗教のセミナーでどんなことをするのか「ノベライズ風」に紹介します(ええ…ウケ狙いです)。

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