中学生だったか、高校生だったか、ハッキリとは覚えていません。
わたしがいた宗教が主催する二世信者向けのセミナーが開催された時の話です。
割合大規模なセミナーで、文字通り日本全国の二世信者たちが集まりました(とはいっても信仰に積極的な二世ばかりですが)。
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中学生だったか、高校生だったか、ハッキリとは覚えていません。
わたしがいた宗教が主催する二世信者向けのセミナーが開催された時の話です。
割合大規模なセミナーで、文字通り日本全国の二世信者たちが集まりました(とはいっても信仰に積極的な二世ばかりですが)。
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熱心な信者はその多くが宗教を信仰することで幸福を獲得しようとしています。
「信仰していれば病気が治る」
「死んだ後に極楽浄土(天国)に入ることができる」
「真っ先に恩恵を受けることができる」
口では言いませんが内心ではこのように思っています。
もちろん誰もが幸せになりたいと思っているでしょう。しかし、宗教が幸福を提供してくれることは本当にあるのでしょうか?
わたしの考えでは宗教の先に幸福はありません。
宗教は自分を成長させるためのプロセスの一部であってゴールではないからです。ある程度したら今いる宗教を卒業することを考える方が賢明ではないでしょうか?
もちろん、幸福につながる要素はあるかも知れません。しかし、全体で考えるとやっぱり一部でしかないように思います。
少なくとも宗教だけで幸福が決まることはありません。
もっと言えば本当に幸福な人は幸福を求めることもしないのではないでしょうか?
「〇〇だから幸福だ」
「〇〇だから不幸だ」
宗教の中にいても幸福と不幸の論争は解決しませんでした。
結局幸福とか不幸とかから自由になった人が本当の幸せものなんじゃないか?と思う今日この頃。
猫になりたい。
「親や兄弟、自分の子どもが評判の悪いカルト教団に入信してしまった」
恐らくご家族としては心配になることでしょう。
わたしは新興宗教の中で生まれて、30年後にその宗教をやめました。そのためどうやって身内の信仰をやめさせるかということは専門ではありません。
しかし、新興宗教の中にいた経験的視点から、
というのは何となくわかります。
今回はその心構えについてカンタンにまとめました。
続きを読む一九九五年3月。日本中が“あるカルト教団”の狂気に震撼しました。
そうオウム真理教(当時)が起こした「地下鉄サリン事件」です。
通勤ラッシュで人が多い時間を狙った犯行でした。
新興宗教に対して警戒する人は、必ずと言っていいほどこのオウム真理教が起こしたテロ事件が頭をよぎるでしょう。
それまでにも日本国内で宗教が起こした事件はありました。しかしその多くは金銭的な詐欺が多く、オウム真理教のように
ということはありませんでした。しかし1つの新興宗教が実際に集団でテロを起こしたのです。
今回は本来、人を癒し、救い、希望を持たせるはずの宗教が「狂気に走る日」とはいつなのかについて考えました。
続きを読むほとんどのカルト教団では入信したあとでも定期的にセミナーを開催して、信者の参加を推奨しています。
セミナーは1日で終わるものもあれば、数日施設に泊まるカタチで実施されるものもあります(中には半年~数年というものも)。
今ではそれほどまでではないですが、わたしが子どものころ両親は熱心な信者だったのでよく数日家を空けてセミナーに参加していました。
わたしの場合は小学生のころから二世信者だけで集まるセミナーに参加させられていていました。
今回はわたしの実体験から新興宗教のセミナーでどんなことをするのか「ノベライズ風」に紹介します(ええ…ウケ狙いです)。
続きを読むわたし自身宗教をやめた身です。
だからといって宗教それ自体を否定するつもりはありませんし、人生で必要なのであれば宗教が与えてくれるものを利用すればいいとは思います。
ただ宗教、特に新興宗教やカルト教団と呼ばれる組織やグループを見ると、やはり「え?なんでそうなった?」みたいなものはよくあります。
今回は宗教の中にいた経験から、独自の視点でカルト教団の問題点をいくつか挙げてみました(内側からの意見なので、実際にカルト教団に入信したことがない方は理解できない部分もあるかもしれません)。
実際は1つ1つの問題点で1記事ずつ書けるものですが、ここでは大まかに要点をしぼって解説します。
続きを読む世間が思っている以上に新興宗教の中にいる二世信者の状況は複雑です。
最近のニュースなら女優の清水富美加さんが二世信者だったということで話題になりました。
実際、元々親が新興宗教の信者でその家庭の中で育つとどうなるのか気になりますよね?
わたし自身が二世信者だったのでその内情は、人よりよく知っているほうだと思います。
特に二世信者同士の交流も活発だったこともあり、全体的な傾向もずっと見てきました。
今回はわたしの経験も交えて新興宗教、特にカルト教団の二世信者がどのような
を経験するのか紹介します。
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洗脳とカルト宗教はよく連想されやすいトピックです。
特に宗教を信仰していない人からすると、中身の見えない宗教組織・教団というものは何をやっているのかわかりません。
「人をだましているのではないか?」
「洗脳して教祖の思い通りにコントロールしているのではないか?」
「マインドコントロールしているのではないか?」
このように実態の見えないものには少なからず疑いの念と不気味さを感じるでしょう。
今回はカルト宗教と洗脳の関係について紹介します。
おっと、その前に洗脳とマインドコントロールの違いについて触れてませんでしたね?
厳密にはニュアンスの違いかも知れませんがザックリいうとこういうことです。
洗脳になると違法性を匂わす行為になってきます。
マインドコントロールはテレビや新聞などの情報操作も一種のマインドコントロールです。
そのため普段わたしたちはいくつかのマインドコントロールと隣り合わせで生活していることになります。
それを善というか悪というかは人それぞれの解釈です。
洗脳とマインドコントロールで共通していることは「本人の意思を個人または組織や宗教の教義・主張・思想に変える」ということでしょう。
洗脳を解くのとマインドコントロールを解くのとでは洗脳の方がまだカンタンだともいわれています。
洗脳は本人の意志に反して力づくで思考を変えていることもあり、その効力はそれほど長続きしません。
そのため洗脳は1回で終わることは少なく、継続して洗脳を続ける必要があります。
しかしマインドコントロールとなると話は別。
他人の思想や教義を自分の思考や心理に落としこむことになるので、宗教に限らず、
など、あらゆる場面で気づかない内にマインドコントロールされていることも考えられます。
人間一度「正しい!」と思ったものをカンタンに変えることはできません。
洗脳と違ってマインドコントロールが完了したあとは自分で教義に沿った行動をしてくれます。
マインドコントロールの恐ろしいところは、自分でマインドコントロールされているという実感がないこと。
だからこそマインドコントロールを解くのは難しくなります。
まず宗教の中に30年間いたわたしの見解では、
というものです。中には明らかに洗脳している宗教もあると思いますが、ごく一握りではないでしょうか?
ここで強調しておきたいのは
という点です。
カルト教団が“意図してマインドコントロールしていない”というと疑われるかもしれませんが、これは本当です。
自分たちが洗脳やマインドコントロールをしているとは本気で思っていません。
なんだったら「お前はマインドコントロールしているだろう!」と言ってくる人に対して鼻で笑うほどです。
「いやそんなことするわけねえしw」
とか思っています。
信者としては、
を熱く語っているだけで、相手を自分の欲望のために服従させようなんて思っていないんです。
勧誘から伝道、入信まで一連の流れは、相手を救うために必要なプロセスだと思っています。
だから洗脳とかマインドコントロールみたいなネガティブな単語は意味合いとして当てはまらないと考えているのです。
そしてもちろん洗脳のような
で無理やり伝道するようなことはしません。
それを伝道というかも疑問ですが…。
また、マインドコントロールのように
などを狙って思考を変えてやろうとも思っていないでしょう。
ただ伝道のプロセスを分析してみると、やはりマインドコントロールに近い流れというものは少なからずあります。
難しいのは宗教団体側や伝道を担当する信者がそのプロセスをマインドコントロールだと“思っていないこと”です。
これがもしも本当に意図して「洗脳してやろう」とするのなら、にじみ出る悪意から多少の警戒はできるでしょう。
しかし実際はというと、
など、悪気など一切ないんです。
そのため声をかけられた人も
「あ、この人は本気でわたしのことを思ってくれている」
「悪い人には見えない」(実際に“露骨に悪い人”というのは少ないです)
と思ってしまいます。
特に自分のことを本気で考えてくれる人には感動を覚えるものです。
相手をだまそうと思わずにマインドコントロールに近いことをしている、しかも迷いなく…。
無自覚ほど怖いものはありませんね。
ここまで無自覚ながらもカルト教団がマインドコントロールをしていることを紹介しました。
注※もちろんすべての宗教がそうだという意味ではありません!
そこで気になるのは、
ということです。
カルト教団が人を伝道する方法は洗脳とマインドコントロールの中間くらいのやり方です。
洗脳とマインドコントロールについて思い出してください。
言い換えれば、
という見方もできます。
カルト教団の勧誘の仕方はこの中間なので、
というように、洗脳とマインドコントロールの要素を含んだものになりやすいです。
では具体的にカルト教団はどのようなプロセスで伝道するのか、代表的な流れを紹介します。
もちろんこれがすべてではありません。
伝道する相手に合わせてプロセスを柔軟に変える団体もあれば、最初から宗教だと明かして接点を持つケースもあります。
あくまで1つの代表例として参考(参考?)にしてください。
接点を持つ方法は多岐にわたるので“これ”というものはありません。
以下にざっと並べてみます。
要は接点が持てればこの際なんでもいいということです。
最近ではSNSも普及しているのでインターネットを活用したものもでてきています。
一度接点を持てたらしばらくは交流することで相手との距離を縮めていきます。
積極的に交流の場を持つために教団が企画したイベントへ誘うことも珍しくありません。
このようなイベントは交流する機会としてうってつけです。
わたしがいた宗教では「登山」というものがありました。
洗脳ほど強く肉体的な苦痛はありませんが、登山となるとそれなりに疲れますよね?
登頂した達成感と心地よい疲労感があるときの会話は軽い高揚感を生み出して、深い話ができるようになるんです。
また一緒に困難を克服したことで強い仲間意識のようなものが生まれるので、ぐっと距離が縮まるイベントの1つでした。
ある程度交流ができると今度は啓発セミナーに誘います。
どこかの外界から隔離された施設に泊まってセミナーをするケースがほとんど。
最初はイベントとセミナーの境目がわかりにくい程度の内容で、一泊二日または二泊三日くらいのものに誘います。
施設は自然が広がる美しい場所が定番です。
初期のセミナーには、
のようなものが企画されていて、大体終わるころには
「よかった!」
「感動した!」
「また参加したい!」
という感想をもらえます。
(あ、これのサクラ何度かやりました笑)
するとセミナーで感動した体験があるので交流はさらに活発になっていきます。
このようなセミナーを何度かくり返しながら、少しずつ教義に共感してもらおうとするんです。
セミナーが進むにつれて内容も濃くなっていきます。
ネットで口コミなんかを見ていると、セミナーの期間を長くしていく宗教もあるようです。
どのタイミングで宗教だと明かすかはある程度基準が決まっていて、大体は一連の流れを取り仕切る幹部が面談します。
ここで面談するのは当ブログで紹介しているリーダータイプが多いです。
ここで最終的な判断を本人に決めさせます。
ただしどこまでが本人の意志で、どこまでがセミナーの影響かは微妙なところです。
セミナーで高揚感があるタイミングで面談して、その場の雰囲気でイエスと答えることも少なくありません。
入信を決意した人には、その宗教独自のカリキュラムに沿って教育されます。
教育期間中にも感動体験をたくさん盛り込んで、どんどん宗教の教義に引き込んでいきます。
そして一連の流れの中に洗脳・マインドコントロールの要素がちりばめられていることが多いです。
よくあるのが、
という肉体的・精神的に疲れるタイミングで教義について語るケース。
この2種類のどちらか、もしくは両方同時に与えてから教義を語ると、内容を受け入れやすくなります。
伝道プロセスの一例を紹介しましたが、ここまで読んでいただいた方はこう思ったに違いありません。
それでもカルト教団は自分たちが洗脳・マインドコントロールしているとは思っていません。
誰が始めたかもわからないくらいずっと前からこのような方法で伝道してきて、なんだったら伝道する側も同じような方法で伝道されてきたんです。
ただ意図してマインドコントロールしているのではなく「伝道するために試行錯誤した結果、マインドコントロールや洗脳に近いカタチになってしまった」というのが実際です。
30年間宗教に身を置いていた経験から、このような方法で伝道されてきた人はあとあと面倒な信者になりやすいです。
口ではいいませんが潜在的に「自分の思考を変えられた」という被害者意識があるのでしょう、自分の人生の責任を自分以外の
などに転嫁(てんか)している人を数多く見ました。
何故、人はなかなか宗教をやめる(棄教)ことができないのでしょうか?
新興宗教を外側から眺めている人からすると、
「意志が弱いんじゃないか?」
「精神的支えが欲しかったんじゃないか?」
「洗脳されているのではないか?」
と、様々な見方があります。
どれもハズレではありませんが少し具体性に欠けるように思います。
今回はわたしの経験則から信者が宗教をやめられない9つの理由をあげてみました。
ほとんどの人はこれからあげる理由の内、
というように複数の理由を抱えています。
そのためどれか1つを解決しても別の理由が歯止めをかけることになり、理由が多いほど宗教をやめることは困難です。
わたし個人が宗教の中にいた経験からの見解なので「100%これが正しい!」とは言い切れませんが、大体は以下の理由で間違っていないと思います。
図1:新興宗教信者4つのタイプ
上の図1は新興宗教の中にいる人たちを大きく4つのエリアにわけたものです。
わたしの経験上、信者はこのエリアのどこかに位置しています。
一応線で区切ってはいますが、明確に分かれているわけでもありません。
もっと言えば、信者はそれぞれこの4つの要素を持ち合わせているけど、割合偏っているエリアがあるということです。
この4つのエリアではそれぞれ中心的な考え方や態度があり、そのエリアに偏る人たちを4つのタイプにわけました。
基本的にその人のタイプから対照的な位置にあるタイプの人とは対立しやすく、接点のあるタイプの人とは当たり障りないか、良好な関係を築きやすくなります。
第4回はリーダータイプについて解説していきます。
続きを読む図1:新興宗教信者4つのタイプ
上の図1は新興宗教の中にいる人たちを大きく4つのエリアにわけたものです。
わたしの経験上、信者はこのエリアのどこかに位置しています。
一応線で区切ってはいますが、明確に分かれているわけでもありません。
もっと言えば信者はそれぞれこの4つの要素を持ち合わせているけど、割合偏っているエリアがあるということです。
この4つのエリアではそれぞれ中心的な考え方や態度があり、そのエリアに偏る人たちを4つのタイプにわけました。
基本的にその人のタイプから対照的な位置にあるタイプの人とは対立しやすく、接点のあるタイプの人とは当たり障りないか、良好な関係を築きやすくなります。
第3回は傍観者タイプについて解説していきます。
続きを読む図1:新興宗教信者4つのタイプ
上の図1は新興宗教の中にいる人たちを大きく4つのエリアにわけたものです。
わたしの経験上、信者はこのエリアのどこかに位置しています。
一応線で区切ってはいますが、明確に分かれているわけでもありません。
もっと言えば信者はそれぞれこの4つの要素を持ち合わせているけど、割合偏っているエリアがあるということです。
この4つのエリアではそれぞれ中心的な考え方や態度があり、そのエリアに偏る人たちを4つのタイプにわけました。
基本的にその人のタイプから対照的な位置にあるタイプの人とは対立しやすく、接点のあるタイプの人とは当たり障りないか、良好な関係を築きやすくなります。
第2回は実力重視タイプについて解説していきます。
図1:新興宗教信者4つのタイプ
上の図1は新興宗教の中にいる人たちを大きく4つのエリアにわけたものです。
わたしの経験上、信者はこのエリアのどこかに位置しています。
一応線で区切ってはいますが、明確に分かれているわけでもありません。
もっと言えば信者はそれぞれこの4つの要素を持ち合わせているけど、割合偏っているエリアがあるということです。
この4つのエリアではそれぞれ中心的な考え方や態度があり、そのエリアに偏る人たちを4つのタイプにわけました。
基本的にその人のタイプから対照的な位置にあるタイプの人とは対立しやすく、接点のあるタイプの人とは当たり障りないか、良好な関係を築きやすくなります。
第1回は信仰重視タイプについて解説していきます。
続きを読む実際、宗教を信仰している人ってどのくらいいるのでしょうか?
わたしが子どものころは近所の人たちは、うちが家族で宗教をやっていることを知っていました。
しかし珍しいのと、あまり評判がいい宗教ではなかったので、実際毛嫌いする人もチラホラ。
特に田舎だったこともあるのでしょう。
住民同士の繋がりが強い分、怪しい宗教を信仰している人がいるのはあまり気分のいいものではなかったのかもしれません。
あなたの周りには宗教信者がいますか?
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